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April 30, 2006

ウサ之助を一番上に置いてみます



ブログペットのウサ之助を、再び一番上に持ってきました。結構マイナーな言葉を名詞として認識するので、クリックすると「ミロシェビッチ」とか、「タノヴィッチ」とか言い出したり、「Bog」とも言えます(笑)

サイバー上で飼うペットはいろいろありますが、私にとってはどれも80点未満といったところなので、もうそろそろずば抜けて面白いものが出てきてもいい、というか是非出てきて欲しいと思う今日この頃。

April 29, 2006

故ミロシェビッチ元大統領の手紙



セルビア版のウィキペディアに、先月亡くなったミロシェビッチ元大統領が死の直前に書いたという手紙の写真が載っています。一体何が書かれていたのか・・・私にはすごく気になったのですが、こんな小さい写真でしかも手書きだし(英語だけど)、私にはほとんど読めませんでした(涙)しかたなく外国人の友人たちに見てもらったら、数箇所以外は難なくスラスラと読んでくれて、さすがぁ~!!と思いました(≧◇≦)

正確には、これは手紙に添えられたカバーレター(またはその下書き)で、手紙と同様にミロシェビッチ氏が手書きで書いたものだそうです。下のサイトに行くと、写真がページの下のほうに載っています。
  • Слободан Милошевић(セルビア版ウィキペディアより) (追記:写真は既に削除されているようで、見ることが出来ません)
  • 追記:上と同じ写真がこちらのサイトで見られます。ずっとスクロールダウンしていくと手紙があります。⇒ Milošević umrl zaradi infarkta (24ur.com より)
ウィキペディアは誰でも編集できるフリー百科事典なので、たまに誰かのいたずらで不正確な情報が載ったりすることもあります。それで私は最初半信半疑だったのですが、ミロシェビッチ氏の弁護士だったズデンコ・トマノヴィッチ氏がこのカバーレターを手に持っている写真を見て、本物だと納得しました。その写真はこちら。
さて、朝日新聞によれば、

ロシアのラブロフ外相は13日、元ユーゴスラビア大統領のミロシェビッチ被告が死の直前に獄中でしたためた書簡が届いたと語った。書かれたのは8日。11日に死亡が確認されたミロシェビッチ被告の最後のメッセージになったと見られる。
  • 「死の直前、ロシアで治療求める手紙 ミロシェビッチ被告」より(朝日新聞、3月14日)

ということなのですが、このカバーレターを見たら、日付けがなんと、亡くなる前日の3月10日なんです*1。ということは、手紙が書き始められたのが3月8日で、それに添えるカバーレターは何らかの理由により10日に書かれ(手紙を書くのに2日間かかったということなのかも?)、おそらくその日に投函、そしてロシアに着いたのが13日頃なんですね。 または、時差の関係で日付がずれたのかもしれません。

冒頭で申しましたように、友人たちに解読してもらったミロシェビッチ元大統領のカバーレター。内容はだいたいこんな感じです。(よく見えないので、正確なことは私達にはわかりません。)

Ambassy [Embassy] of the Russian
Federation

Den Haag

Dear Gentlemen,
Please find enclosed the letter
of mine, addressed to Ministery [Ministry] of
Foreign Affairs of the
Russian Federation, with
my request to be so kind
as to pass the letter to the
Ministery [Ministry] in Moscow.

Best regards,
Slobodan Milošević

10.03.06.
Den Haag

明らかに Embassy や Ministry のスペルが間違って書かれているので、これは下書きだったものなのか、急いでいたのか、うーん、よくわかりませんが、とにかく、ハーグでこれを書いた翌日には亡くなってしまいました。 手紙のほうは、手書きで6枚ということですが、その英語訳が気になる方は、下のサイトで読めます。
それにしても、なぜ手書きだったのでしょうかね??ミロシェビッチ氏は、自分で自分の弁護士を務めていた関係で、拘置所でも特別にパソコンやFAXやインターネットも与えられ、かなり恵まれた環境にあったそうです。公式文書で手書きって珍しい。もっとも、すべては監視下にあったはずなので、隠れてロシアに手紙を送るには手書きのほうが無難だったのかもしれません。

ブログ内関連記事:
ミラン・バビッチ氏の自殺
ミロシェビッチ元大統領の死
*1:クロアチア語やセルビア語で日付を書く場合、日、月、年、の順になるので、10.03.06.は2006年3月10日という意味になります。

April 28, 2006

クロアチア語、ボスニア語、セルビア語の間の深い溝



前回の日記「クロアチア語の挨拶」の続きです。

いろいろな言い回しの中からもっとも適当なものを状況に合わせて選ぶのってどの言語でも難しいですね。そう嘆いていたらクロアチア人の方に、「クロアチアでどんなに間違った言い回しをしたとしても、外国人だからということでみんな大目にみてくれるから心配しないで大丈夫だよ、セルビア語を使うことさえしなければ。」と冗談まじりに言われてしまいました。

もちろん、これは本当に冗談で、外国人が悪気なくセルビア語を使っても、それに対して目クジラをたてるようなクロアチア人は滅多にいないということなので、間違えることを恐れずにどんどんしゃべったほうがいいと思います(^ ^;)

でも・・・確かに外国人なら笑って許してもらえそうですが、これが現地の人だと、まんざら冗談でもなさそうです。紛争後のクロアチアでは、セルビア語がかなり忌み嫌われているようなので・・・。クロアチア語、ボスニア語、セルビア語は、文法的には3つともほどんど同じで方言程度の差しかないそうです。しかし、人々の意識の中では、「かつて敵だった人々の言葉」とか「私の息子を殺した者たちの言葉」というふうになってしまいます。クロアチア人の大多数がどんなに民族間の和解や平和を望んでいても、戦後まだ10年しかたっていなくて人々の心はいまだに深く傷ついていますから、耳にするセルビア語に過剰反応してしまうのも無理はないかもしれません。

ちょっと話はそれますが、「気違い」という日本語がどうして日本で放送禁止用語なのか、ウィキペディアで調べてみたら現在こう出ています。

回復治療期に、テレビ・ラジオでこの語を聞いた精神障害者がショックを受けることにより、治癒を妨げる恐れが指摘されたことから、関西の民間放送各社が使用の自粛を呼びかけた。このため、現在ではほとんどの放送局で放送禁止用語(放送自粛用語)に分類している。一般社会においても差別用語とされる。

ウィキペディアの「きちがい」の解説より

私の親戚には、この言葉を「馬鹿」や「阿呆」と同義で気軽に使う人たちが(かなりの年配とはいえ)結構いるので、私にとってはそれほど悪い言葉という意識はなかったのですが、この言葉を聞いてショックを受ける人がいるなら、放送禁止用語になるのもわかります。(これを見て気を害された方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。)

セルビア語は、クロアチアで「放送禁止用語」とまではいきませんが、クロアチアのテレビやラジオや公式文書などでは、近年徹底的にクロアチア語っぽい言い回しが好まれています。それは、単にセルビア語がクロアチアの人の気を害するからだけでなく、民族のアイデンティティーを守るためにはクロアチア独自の言葉を使うことが必要だという意識に基づいているようです。(参考:昨年12月28日の日記「クロアチア語の格変化」

それに関して、昨年のこんなニュース記事がありました。
「バルカン半島情勢、民族主義が生み出す言葉の壁」(JanJanより)(追記:リンク切れ)
⇒ 追記:同じ記事がこちらの INPS-Japan のサイトで読めます。英語の元記事はこちら

この記事には、クロアチアではクロアチア語独自の新語がどんどん作られ、「FAXは新表現では “dalekoumnozitelj(長距離コピー用機械)”となる」などの例も出ています。

このことに関して、ザグレブの銀行家ミリアナ・トンチッチ氏(36歳)は、「公的なコミュニケーションでFAXという単語を使えないとは信じられない状況です」「新しい単語を使うことにはなっているけどどうやって発音していいかさえ分からないのよ」とIPSに語った。

他にも、ヘリコプターは今では “zrakomlat (空を切る機械)”、ハードディスクは “kruzno velepamtilo (大きな記憶容量を持った円形機械)” といった具合だ。

私がクロアチアの方から聞いた話では、「羊」という言葉の新語の案も、クロアチア人でさえ笑ってしまうほど変なものだそうです。今まで羊は、セルビア語と同じで ovca と言われていました。新語の案では、「4つ足でムクムクとした巻き毛の哺乳類動物」とかだそうで、ここまでくるとやり過ぎでこっけいだと言っていました。徹底してクロアチア語をセルビア語から分けようとする動きを推し進めているのは主に政治家たちなので、一般の人々には戸惑いもあるようです。

同様の現象、すなわち、自国の言語を他から分けようとする動きは、セルビアでもボスニアでも起こっています。クロアチア語とボスニア語とセルビア語は文法的には方言程度の差しかなくても、それぞれの言語間の精神的な溝はとてつもなく深いですね。

April 25, 2006

クロアチア語の挨拶



クロアチア語の「こんにちは」の挨拶で、カジュアルなものには

Zdravo ズドラーヴォ(元の意味は「健康」)

Bog ボーグ(元の意味は「神と共に」)

Bok ボーク(Bog の発音を言いやすくしたもの)

Ćao チャオ(イタリア語の Ciaoから)

Bokić ボキッチ(Bokを、おちゃめな感じで言うとこうなる。俗語。)

などいろいろありますね。それぞれどう違うのか、復習もかねてクロアチア人の友人たちに聞いてみました。

クロアチアの首都ザグレブ周辺でよく使われる Bog は、Zbogom("[Go] with God"「神と共に」の意味で、別れの挨拶として使われる)の真ん中を取ったものですが、ボスニア・ヘルツェゴビナに住むクロアチア人の多くはむしろ Zdravo のほうを好むようです。神の名を軽々しく口にしたくない場合や、ボスニア・ヘルツェゴビナのように複数の民族が住む場所では、「健康」という意味合いを持つ Zdravo のほうが挨拶としては無難なのだそうです。

しかし、クロアチア国内では、この Zdravo という言葉が好まれない場合があります。クロアチアが独立する前のユーゴスラビア社会主義連邦共和国では、宗教色の濃いものが公の場ではあまり好まれない傾向にあったため、気軽な挨拶には Zdravo のほうがよく使われていました。それで、現在クロアチアで Zdravo と言うとなんだか社会主義者のように聞こえるとか、(クロアチア人側からみたら社会主義寄りの)セルビアっぽい響きがあるという理由で、Zdravo という言葉を敬遠する人々がいるのです。

では、キリスト教信者でない日本人がクロアチアに行って、Zbogom や Bog (「神と共に」)などと言ったら変に聞こえるでしょうか、と聞いてみました。すると、クロアチア国内ではもう挨拶の言葉として定着しているので、日本人でも Zbogom や Bog を使って差し支えない、という答えが返ってきました。クロアチア国内では、誰でも Zbogom や Bog を使えると考えてよさそうです。

一方、ボスニア・ヘルツェゴビナのクロアチア人は、話し相手がクロアチア人だとわかっている場合には Zbogom や Bog を使うこともあるけれど、相手がセルビア人やムスリム(ボシュニャク)、または相手の宗教がわからない場合は Zdravo を使うそうです。セルビア語にも Zbogomという言い方はありますが、セルビア人はカトリックではなく東方正教会またはセルビア正教徒なので、異教の人に「神と共に」と言うのは何だか変な感じがするのだとか。

挨拶の言葉にすらこんなに気を使わないといけないなんて、多民族が住む場所というのは大変ですね。Zdravo か Bog か、一体どっちを使ったらいいんだ!と迷った場合には、Dobar dan (ドバル ダーン) が便利です。Good day (Good afternoon) という意味で、最も中立的な言い回しです。でも、場合によってはちょっと堅苦しい。もっとカジュアルに言いたいけれど、人の気分を害するようなことは言いたくない・・・。そんな場合に、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナに住むクロアチア人の間で近年好まれているのが、イタリア語のチャオ。「やぁ。」にも「じゃあね。」にも使えます。

クリスマスなのにメリー・クリスマスと言えないアメリカ

宗教的な意味合いを持つ言葉に気を使うのは、バルカン半島だけではありません。やはり多民族国家のアメリカでも、テロ事件以降、民族の共存にとても敏感になっています。なんと、メリー・クリスマスという言葉さえ、公の場(市役所やお店など)の従業員や所員の間で禁止されている場合があります。Merry Christmas! のかわりに、Happy Holidays! と言う様にしつけられるのだそうです。下は、Boston Globeのニュース記事です。
De-Christmasing Christmas

この記事によれば、毎年カナダのノヴァ・スコシアからボストンに寄贈される巨大なクリスマス・ツリーが、昨年末のボストン市のホームページでは敢えて「ホリデー・ツリー」と称されて紹介されたということです。異教徒の市民に対する配慮なのだそうですが、大多数のアメリカ人にとっては紛れもなく「クリスマス・ツリー」なわけで、クリスマス・ツリーをクリスマス・ツリーと呼べないクリスマスなんておかしい、という声もたくさんあるそうです。アメリカの FOXテレビのニュースキャスター、ジョン・ギブソンさんが書いた「The War On Christmas」という本によれば、イリノイ州の政府機関では職務中にメリー・クリスマスと言うのが禁止され、また、ニュー・ジャージー州のある学校では、伝統的なクリスマス・キャロルの演奏が禁止になったそうです。詳しいことは、この本の書評の中で読めます。
The War On Christmas (Goofigure.com より)

私ももっと言葉の使い方に気をつけようと思いました・・・。

「クロアチア語、ボスニア語、セルビア語の間の深い溝 」に続く


参考:「クロアチア語を教えて!」ホームページ レッスン2、6日目「クロアチア語の挨拶」

April 21, 2006

「Lijepa naša Hrvatska」という曲へのリンクを追加しました。



「クロアチア語を教えて!」ホームページのデザインを少しだけリニューアルし始めました。ついでに、Day 1に Lijepa naša Hrvatska(私達の麗しきクロアチア、Our beautiful Croatia)という歌詞で始まる歌(mp3)へのリンクを追加しました。
Day1: クロアチアってどこ?
⇒ 曲を直接聞くなら、クロアチアの観光局のホームページへ。(追記:リンク切れ)

クロアチアの観光局が、Volim Hrvatsku (I Love Croatia)というキャンペーンの一環として作った曲だそうです。観光地として急成長しているクロアチアの自然・環境保護を呼びかける歌のようですね。コマーシャルソングとしてTVやラジオで流されました。(いまでも使われているかもしれません。)映画「シュレック」の第1作目で、シュレックとドンキーがファークアード卿の国に到着した時、入り口でからくり人形たちが歌い出しますよね?なんだかあのシーンを思い起こさせるようなコーラスじゃありませんか?(笑)子供たちが歌っていて、とてもかわいい。

歌詞は、クロアチア国歌の「Lijepa naša domovino」(Our beautiful homeland)に少し引っかけている部分があります。ドラヴァ川、サヴァ川、ドナウ川は国歌のほうにも出てきます。曲の雰囲気やメロディーなどは全然違います。

参考:Project ”I LOVE CROATIA 2004 - More flowers, less garbage” (このプロジェクトの目的など。英語。)(追記:リンク切れ)

歌詞の一部は下の通りです。歌っていたら耳について離れなくなってしまいました(^^;)

クロアチア語
Lijepa naša Hrvatska, Hrvatska, Hrvatska
I obala Jadranska, Jadranska
I čisto plavo more
S više cvijeća manje smeća

Nek zvoni pjesma s Jadrana
Od Drave, Save, Dunava
Nek paze svi, nek paze svi
Jer Hrvatska smo ja i ti

だいたいの発音
リェパ ナシャ フルヴァツカ フルヴァツカ フルヴァツカ
イ オバラ ヤドランスカ ヤドランスカ
イ チスト プラーヴォ モーレ
ス ヴィシェ ツヴィエチャ マニェ スメーチャ

ネック ズヴォニ ピェスマ ス ヤドラナ
オッ ドラーヴェ サーヴェ ドゥナヴァ
ネック パーゼ スヴィ ネック パーゼ スヴィ
イェル フルヴァツカ スモ ヤ イ ティ

英語訳と日本語訳
Our beautiful Croatia, Croatia, Croatia
And the shores of the Adriatic Sea, Adriatic Sea
And the pure blue sea
With more flowers and less garbage

Let the song from the Adriatic Sea chime
From Drava, Sava and Danube
All should make sure, all should make sure
For Croatia is me and you

私たちの麗しきクロアチア、クロアチア、クロアチア
アドリア海の海岸、アドリア海の海岸
そして真っ青な海
花をもっと多く、ゴミはもっと少なく

アドリア海から歌を響かせよう
ドラヴァ川やサヴァ川やドナウ川から
みんなで気をつけよう、みんなで気をつけよう
だってクロアチアは私でありあなただから

(追記 2012/11/01:YouTubeで見つけたビデオクリップを下に貼り付けます。長いバージョンなので、上記の歌詞とは少し違う部分が含まれています。)

April 19, 2006

ダニス・タノヴィッチ監督の「美しき運命の傷痕」



ボスニア紛争の兵士たちを描いた映画「ノー・マンズ・ランド」のダニス・タノヴィッチ監督が、フランス語の映画を作りましたね。 (製作はフランス、イタリア、ベルギー、日本の合作となっています。)邦題は「美しき運命の傷痕」といいますが、原題は L'enfer(地獄)です。残念ながら私にはまだ見る機会がありません。日本では4月8日から上映中です。

ダニス・タノヴィッチ監督といえば、私にとってはどうしてもボスニア映画の人という印象が強く残っていたので、なぜフランス?と思ってしまいました。でも、インタビューを読んでみたら、実は結婚してフランスで暮らしているということが書いてあって、なるほど~、納得。「ノー・マンズ・ランド」でデビューし、三姉妹とその母を描く「美しき運命の傷痕」を監督するまでに至る経緯や心境の変化などが、ガーディアンのインタビューで詳しく読めます。(英語)
The hell in our own heads (Guardian)

上の記事によると、ベルギー人の奥さんとの間に子供が3人いて、4人目が生まれるそうです。フランス語は、ベルギーでは公用語のひとつでもあるので、おそらく奥さんはフランス語で育ったのだと思われます。

この映画に出演しているフランス女優のキャロル・ブーケのインタビューも読んでみましたが、そちらでは監督の奥さんは「フランス人」ということになっています。ベルギー系のフランス人なのかもしれませんね。
「美しき運命の傷痕」、仏大女優キャロル・ブーケを直撃!(エイガ・ドット・コム)

「美しき運命の傷痕」の公式サイトでは、タノヴィッチ監督と女優エマニュエル・ベアールのインタビューと、記者会見の動画などが見られます。エマニュエル・ベアールって、年をとっても相変わらず目がかわいい。映画が楽しみです。

「美しき運命の傷痕」の日本版公式サイト
http://www.utsukushiki.jp/(追記:リンク切れ)

April 16, 2006

クロアチアのことわざ (1)



クロアチアのお金の単位であるクーナ*1に関しまして、クロアチア語くらぶ BBS兼ゲストブック のほうで duga さんにいろいろ教えていただきました。ドイツ語版ウィキペディアに載っているクーナの情報の一部を日本語に訳していただき(Date: 2006/04/15 No.105の書き込み)、かさねてお礼を申し上げます。

外国についての情報を探すときは、やっぱり海外サイトで検索したほうが詳しいことがわかりますね。というか、情報量が月とスッポン!外国語が理解出来ると世界がぐっと広がるなぁとつくづく感じます。インターネットの海にはあらゆる言語の情報が浮かんでいるのに、日本語のものだけしか釣らないのはもったいない。

そして、今回もそうでしたが、英語&それ以外の言語が分かるとさらにいろいろな情報を釣り上げて理解することが出来るんですね。英語の記事といえばアメリカやイギリスのメディアのものが主流ですが、バルカン半島からはちょっと遠くなりますから、ものの見方の角度がどうしても違ってくると思います。ドイツやイタリアなど、ヨーロッパの中からお隣のバルカン半島を見ると、少し違う姿が見えるはず。ニュース記事を読んでいると特にそう感じます。

ヨーロッパでは3、4ヶ国語がわかる人々が珍しくないと聞きます。クロアチアでも、外国語の勉強は重要視されているそうです。(どの外国語を習うかは地域や学校によっても違うので、英語が話せない人もいますが。)

そんなクロアチアのことわざに、このようなものがあります。

Čovjek vrijedi onoliko koliko jezika zna.

( = A man is worth as many languages as he knows.)

より多くの言語を知る者ほど価値がある、というような意味です。(この場合の「知る」は、「理解できる」ということ。)

今なら私も同感です。勉強がんばろう・・・。ここで弱気になるのはなぜ(笑)

April 15, 2006

「グルバビツァ」



少し古い話になりますが、約2ヶ月前、ボスニア映画の「グルバビツァ」(Grbavica) がベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞しましたね。ストーリーは、ボスニア紛争中、首都サラエボのグルバビツァ地区にある自宅でセルビア人兵士に性的暴行を受け妊娠した女性とその娘のお話だそうです。私も是非早く見たいと思っています。

この映画に関連してこんな記事を読みました。
国際女性デー:忘れられているボスニアの性的暴行被害者(IPS)

上の記事によると、「ボスニアのメディアがこの話題を取り上げたのも、映画『グルバビツァ』がベルリン国際映画祭で受賞してからのことだ。」「昨年7月国連児童基金(ユニセフ)は、ボスニアでの性的暴行によって産まれた子どもたちに関する報告書を依頼したが、理由は不明のまま出版されなかった。」という記述があり、ボスニア社会がこの問題を直視する準備が出来ていないということらしいです。私はこれを読んだとき、臭いものに蓋をするためにメディアがこの問題(ボスニア紛争中の性的暴行被害)を敢えて避けていたのかな?と思いました。確かにそういう理由もあると思われますが、単にそれだけではないようです。現地の友人に意見を聞いてみました。

先述の記事の中でも言われているとおり、「セルビアではこの問題はタブー視され、そのようなことは起こらなかったと広く否定されている」ため、こういう微妙な問題を取り上げる記者たちは(場所によっては)命がけのリスクを負う事にもなるのだそうです。ボスニア・ヘルツェゴビナには三民族が共存しており、メディアもボシュニャク(ムスリム)系メディア、セルビア系メディア、クロアチア系メディアというように三種三様で、それぞれの主張・見解が異なることが多いです。たとえば、ひとつの新聞社が何かを書いた場合、それに同意しない民族の過激派がその新聞社の車に爆弾を仕掛けたり、脅迫してきたりする可能性があり、記者やその家族が危険にさらされてしまうかもしれません。特に、首都サラエボ周辺は政治の中心でもあり、三民族の代表が出入りすることが多いので、過激派の活動も活発だそうです。メディアが書きたくても危険で書けない場合があるわけですね。その点、「グルバビツァ」は芸術なので表現の自由もあるし、国際的な映画祭で受賞したため、どのメディアも堂々と取り上げることが出来て、本当によかった!

クロアチア国内のメディアのほうが、気兼ねなく自由に発言できるそうです。そりゃそうですよね、周りはほとんどクロアチア人なわけですから反対勢力の意見を気にする必要がありません。それで、ボスニア・ヘルツェゴビナに住むクロアチア人でも、クロアチア国内のメディアを好んで読む人たちがたくさんいるようです。また、ボスニア・ヘルツェゴビナのメディアであっても、反対派が寄り付かないような場所(たとえばクロアチア系の住民ばかりが多数住む地域とか、セルビア系住民ばかりの地域など)にあるメディアならば割と自由に発言できると思います。

グルバビツァ」が受賞する前でも、欧米のメディアはボスニア戦争の性的暴行の被害について取り上げていました。このブログでも昨年の10月5日の日記「ボスニア紛争の終結から10年たっても(2)」で取り上げましたので、そちらも参考にどうぞ。

映画「グルバビツァ」(Grbavica)の公式サイト:
http://www.grbavica.ba/ (ボスニア語と英語)(追記:リンク切れ)
監督:ヤスミラ・ジュバニッチ(Jasmila Žbanić)

日本でも・・・

戦争の問題とは離れますが、日本ではこんなニュースが出ていました。
DV被害の3割「夫から」 悩める女性浮き彫り ≪半数は誰にも相談できず≫ (産経新聞)

「内閣府が14日発表した「男女間における暴力に関する調査」によると、夫から暴行や精神的な攻撃など「ドメスティックバイオレンス」(DV)の被害を受けた女性が33.2%に上った。」「「性的行為を強要された」が15.2%いた。」と報告されています。戦争のない日本でさえこんな状態なんですね。とても悲しくなりました。

内閣府の男女共同参画局ホームページに、「男女間における暴力に関する調査(概要)」(PDFファイル)が掲載されています。

ブログ内関連記事:
「サラエボの花」 (この「グルバビツァ」は、邦題を「サラエボの花」として日本でも公開されました。)

April 14, 2006

トップページが新しくなりました。



「クロアチア語を教えて!」の表紙が、ほんの少しだけ新しくなりました。亀吾郎の写真は変わっていませんが・・・。(^^;)

クロアチアのお金(クーナ編)



クロアチア語くらぶ BBS兼ゲストブック で、dugaさんのお話の中に出てきた「クーナ」(クロアチアのお金の単位のひとつ。クーナという動物の名前から。日本ではテン。)について調べたことを記録しておきます。

下は私の書き込みです。なんか自分の書き込みを引用するのも変ですが念のため。

(Date: 2006/04/14 15:16 No.104)

(前略)クーナについて私も調べてみましたが、日本版ウィキペディアに「中世にテンの毛皮が貿易に使われていたことに由来している」という説明がありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%8A

クロアチア版ウィキペディアでは歴史的な説明が私には見つけられませんでした・・・。ドイツ語版によると、中世にはスラヴォニア地方などにテンがたくさんいたのだとか。
http://de.wikipedia.org/wiki/Kroatische_Kuna

ドイツ語が少しわかる友人がそう教えてくれました。わたしはドイツ語読めません(涙)ので、読解は duga さんにおまかせします!

クロアチアのテンの数は、現代ではそれほど多くはないそうですが、国立公園などには生息しているらしいです。

英語版ウィキペディアの説明では、最初のクーナとして1941年のものが挙げられています。(クロアチアのお金の写真も見られます。)
クロアチアのクーナ(英語版ウィキペディア)

しかし、実際はもっと昔からお金の単位としてクーナが使われていたみたいです。1250年ごろのクーナ硬貨の写真を見つけました。
”Croatian money is called kuna” (Croatia-in-English.com)

上のサイトによると、西暦1000年頃に、クロアチアの Cres や Beli などという町が、クーナの毛皮を年貢としてベニス(ベネチア)の権威者に貢いだのがそもそもの始まりだとか。

duga さんがおっしゃられていたように、クーナという動物は日本では「テン」と呼ばれるそうですので、その写真も見てみます。英語では marten(マーテン、マーティン)というそうですが、日本ではそれを略して「テン」なのでしょうかね?
Yahoo!きっず図鑑 (イタチ科 - テン)

クロアチアの毛皮関連の昔話

クロアチアの人は昔から毛皮の輸出でお金を稼いでいたということを知り、昨年にこのブログでも書きました、クロアチアの狼女の昔話(英語版)を思い出しました。
「クロアチアの狼女」(昨年11月13日の日記)

テンではなくて狼のお話ですが、狼女(または狼少女)が、"Skin down! Skin down!" と言うと自分の毛皮がパっとずり落ちて中から女の人が姿を現します。最初に読んだときは奇妙に思えたこの話も、今読むと「毛皮で生活を成り立たせていた人々が生み出したお話だったんだ~」と、すごく納得出来ます。

April 9, 2006

ドゥブロヴニクの写真



Dubrovnik
はてなの実験的なサービスがおいてあるはてラボに、「はてなわんわんワールド」というのがあります。地図の上を犬になってかけまわるらしいのですが、私にはまだおもしろさがよくわかりません。(チャットとか出来るみたいですけど。)それでもとりあえずクロアチアに犬小屋だけは建ててみました。アドリア海の真珠と言われるドゥブロヴニク(またはドブロブニク、Dubrovnik)です。

上空からみると、本当に貝殻みたいですね。

そして、ドゥブロヴニクの家を見たくなり、不動産屋のサイトに行ってみました。(わんわんワールドとは関係ありません。)
今現在の最初の物件は、「1. HOUSE IN THE OLD CITY -ATTRACTIVE, GREAT LOCATION, FULLY RENOVATED-」というもので、オールドタウンにある家です。いい写真だなぁ。こんな場所に住んでみたい!火事になったら大変かもしれませんが・・・。消防車とかはどうやって来るのでしょうかね。石造りだから、火がまわりにくいのでしょうか。屋根の瓦(?)を近くで見るとこんな感じなんですね。

3番の物件の写真を見てみると、背景に岩石の丘が見えます。衛星写真でみると、本当に樹木のない地面が北のほうにたくさんあります。そういうところはモスタルにも少し似ていますね。バルカン半島のこの辺りは日本とは地質が全然違うようです。日本だったら、木や草で埋まりそう・・・。

「クロアチア語を教えて!」ホームページに登場するイヴァン君も、このドゥブロヴニクに住んでいます(^^)

その他の不動産関連サイト

それぞれの写真をクリックすると、家の内部などが見られます。
ブログ内関連記事:
クロアチアの家
クロアチアの窓

April 8, 2006

スロベニアの evro



昨日の日記「ネレトバ川の汚染事件(3)」の中で、

ユーロのスペルを正式な「euro」にすることを決定 スロベニア (Excite ニュース)

というニュース記事(ロイター)をご紹介しました。

スロベニア共和国議会は木曜日、満場一致で欧州統一通貨のスペルを現在まで使用されてきた「evro」から、正式な「euro」に変更することを決定した。(前後略)

スロベニアではどうして evro だったのか、ちょっと調べてみました。答えは単純明快。スロベニア語で「ヨーロッパ」は、Evropa と綴られるのだそうです。英語では Europe なので euro、それが Evropa なら evro になるのも自然なことですね。

スロベニア語は南スラヴ語系です。同系のクロアチア語やボスニア語やセルビア語ともよく似ています。実際、セルビア語でもヨーロッパは Evropa なので、ユーロのことは evro(エヴロ)と呼んでいるそうです。ただし、セルビア語は公式的にはキリル文字表記ですから、евро と綴られます。もしもセルビアがEUに加盟したら、euro にするのか evro のままでいくのか、注目したいと思います(笑)

クロアチア語を勉強していて気がつくのは、母音が2つ続く事があまり好まれないというか、発音しにくいようなんですよね、それでスロベニアやセルビアでは Evropaになるのではないかなと私は思っています。また、南スラヴ語系の U (ウ)の発音は、日本語のウよりもかなり強くて、口を小さく尖らせてウーと言います。これで試しに、euro (エウロ)と言ってみてください。Rは思いっきり巻き舌(イタリア語のようなR)にして。R の前の U(ウ)の 音が、自然と V(ヴ) に近くなるのが感じられますでしょうか。

さて、クロアチア語ではどうなのかといえば、ヨーロッパは Europa と綴られますから、ユーロも本来の euro (ただし発音はエウロ)です。クロアチアでは、外来語はなるべく外国のままの綴りを保つというのが慣例です。なので、たとえば、ハリー・ポッターはクロアチア語では Harry Potter で、セルビア語では Hari Poter になるという違いが出てきます。(参考:クロアチア語とセルビア語の違いを簡単に見分ける方法!(1))

最後に、ボスニア・ヘルツェゴビナではどうかというと、一般的には クロアチア語と同じように euro (エウロ)です。ただし、セルビア系の地域ではセルビア語が使われるので evro と言われているようです。

April 7, 2006

ネレトバ川の汚染事件 (3)



ネレトバ川の汚染事件(2)の続きです。スロベニアの研究所に依頼した、水や魚の検査結果が出たそうです。ニュース記事はこちら。(クロアチア語)
“PCB u ribi je ispod dozvoljene količine, riba se odmah može pustiti u prodaju” (追記:リンク切れ)

結果は、魚の体内のPCB(ポリ塩化ビフェニル)の量が許容範囲以内なので、ネレトバ川で釣った魚を食べたり売り買いしてもよいそうです。よかったよかった。ただ、PCBの含有量が具体的に示されていないことがちょっと気になる・・・。許容範囲以内とはいえ、もしも危険値スレスレだったりすれば、安心して食べられません。川魚がダメならダメとはっきり知らせてくれれば、クロアチアから海の魚を買ったりも出来るわけです。でも、そんなことを言いはじめたら、ネレトバ川の魚の養殖産業にとってはさらに大打撃になってしまうので、無難なところで「許容範囲以内」としか言わないのかもしれません。うーん、日本の工業地帯や関東地方の海や川のほうがよっぽど汚く見えますし、もしかしたら日本周辺の水や魚もスレスレだったりして!?

スロベニアは、クロアチアと同じ日(1991年6月25日)に旧ユーゴスラビアからの独立を宣言したにもかかわらず、戦争を短く終えることができて(十日間戦争)、長引く戦争で荒廃したクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナよりも経済が発展しているようですね。すでにEUの一員にもなっています。万が一戦争やけんかがおきてしまったら、絶対早く終わらせたほうが世のため人のため。

ところで、スロベニアといえば、先日こんなニュースを目にしました。
ユーロのスペルを正式な「euro」にすることを決定 スロベニア

ロイターによると、

スロベニア共和国議会は木曜日、満場一致で欧州統一通貨のスペルを現在まで使用されてきた「evro」から、正式な「euro」に変更することを決定した。
(中略)
2004年に欧州連合(EU)のメンバーとなった同国は、同時期に加盟した10カ国の中で最も成功した国の1つだ。2007年1月には、「euro」を受け入れた最初の新EU加盟国となる予定だ。

ということだそうです。

その新しいユーロ硬貨のデザインをウィキペディアで見ることが出来ます。
Slovenian euro coins (Wikipedia)

ユーロのコインを初めて見ましたが、どこの国でも星がたくさん散りばめられているんですね。(右側のメニューをクリックすると、ほかのEU諸国のユーロコインの写真が出てきます。)

( --> 翌日の日記 「スロベニアの evro」 に続く)

April 1, 2006

名詞の主格、与格、前置格



相変わらずノロノロと勉強していますが、「クロアチア語を教えて!」ホームページ文法のまとめに、


を追加しました。エイプリルフールじゃなくて、本当です(* ̄ー ̄*)

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