「霧のむこうのふしぎな町」のもともとの題名は「気ちがい通りのリナ」で、1974年の講談社児童文学新人賞を受賞しています。翌年、「霧のむこうのふしぎな町」として出版されたときも、本文の中に数え切れないほど出てくる「気ちがい」という言葉はそのままでした。「気ちがい」という言葉は今でこそ差別語・禁止用語として世間から認識されていますが、その当時はそれほどではなかったのでしょう。そうでなければ、児童文学の賞なんて取れなかったはずですから。
言葉は時代とともに変わります。クロアチア語が急速に変わっていることは以前からお伝えしていますが、今日は日本語について考えてみたいと思います。最近私がよく目にするのが、「お疲れさま」と「ご苦労さま」の使いわけに関する議論です。
現在では、下記のようなことが定説になっていますよね。
どちらも労いの言葉ではありますが、「お疲れ様です」が比較的身分に中立的に用いられるのに対して、「ご苦労様です」は「奉仕」というニュアンスが伴って、目上から目下に対して用いられる傾向が強くなっています。特に会社などではこれを目上に対して用いないことがマナーとして確立しているようです。
「疲れ」も「苦労」も類似した言葉ですが、「お疲れ様」「ご苦労様」と表現が固定して慣用的に用いられるようになり、本来の意味に別のニュアンスが伴うようになったと考えられます。
(日本語Q&A:『お疲れ様です』と『ご苦労様です』の使い分けは? - Space ALC より)
「お疲れ様」も「ご苦労様」も元々同じような意味で使われていたのが、いつのまにか「別のニュアンスが伴うようになった」ということから察すると、わたしたちよりもずっと上の世代では、使い分けないほうが普通なのかもしれません。これらの表現に対する考え方が世代によって違うのは当然とも考えられます。
ちなみに、日本で一番売れている国語辞典と謳われる三省堂の「新明解国語辞典」の最新版(第六版)では、下記のように定義されています。
ご苦労様 -- 目下の者の労をねぎらう言葉
お疲れ様 -- 同輩以下に対するねぎらいの言葉
やはり現代において、「ご苦労さま」は目下の者に対して使う言葉とされているので、目上の人には使わないほうが無難なことには間違いないようですね。お疲れ様が「同輩以下」とされているのは、おそらく、「御(お)」や「様(さま)」は丁寧語である(尊敬語ではない)ために、目上の人に使うには敬意が不十分(敬意を表したことにはならない)、ということなのかな。でも、職場などでは上司に対してでも「お疲れ様です。」が普通に使われていると思うので、それ以外になんて言ったらよいのでしょうか?^^;