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December 31, 2006

親指姫の切手



postage stamps

上の切手は、Palčica の切手、つまりアンデルセンの親指姫です。素敵ですね。消印はモスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)です。

親指姫を簡単なセルビア語で読んでみたいかたはこちらでどうぞ。
http://www.mlekarasabac.co.yu/deca.htm (追記:リンク切れ)

12月の童話、ということでいま掲載されているこの親指姫の絵本、明日の元旦になったら別のお話に変わるんでしょうか。注目です(笑)

今年もあと数時間でおしまい。みなさま、よいお年を!

-->「クロアチアで最も有名な昔話とは?」に続く

November 24, 2006

「Croatia」はクロアチアでどう発音されるか



昨日の疑問が解けました~。「Croatiaは現地でクロアティアと発音されているのか?」という疑問でしたが、その答えは、なんとクロアティアではなく、ツロアティアでした!

クロアチア語読みで、c の発音は 英語の ts (cats などのツ)のような感じの音ですから、それでそのまま Croatia をクロアチア語読みすると、ツロアティアなんですねぇ。(参考:クロアチア語の発音) それでも、英語が得意な人たちは、たとえクロアチア人でもクロゥエィシャと発音するようです。

私はサッカーについて全然詳しくありませんが、クロアチア人の友人が言うところによると、かつてクロアチア最大のクラブチームの名称をクロアチア(クロアチア・ザグレブ)に変えたとき、公式的には英語読みで「クロゥエィシャ」的に発音するはずだったのに、「ツロアティア」とクロアチア読みしてしまうクロアチア人が多くて、なかなか統一できなかったので、結局ディナモに戻したのだとか。

また、やはり昨日の疑問であった、「クロアツィア!ヴィクトリア!」という歌詞については、それがドイツ語だかスペイン語だかは関係なくて、とにかくなんとなく外国語っぽい響きがする言葉をサビに並べただけだろう、と(笑)クロアツィアというのはおそらくドイツ語か何かで、その語尾 ia に調子を合わせて(韻を踏むために) victoria という外国語(スペイン語?)を付けただけだろう、と推測していました。クロアチアでもそんなことやってるんですねぇ。まるで日本みたい。

○川出版の世界史の教科書は、現地読みに近い音で外国名をカタカナ表記しているのかと思っていましたが、違いましたね。(稀に、クロアチア人の中にも、ツロアティアではなくクロアティアと発音する人もいるみたいですが。)

November 23, 2006

クロアティア?それともクロアチア?



最近の疑問。クロアチアの人は、「Croatia」をどのように発音しているのでしょう?英語読みのクロゥエィシャが一般的なのでしょうか、それともクロアティアとか言ったりするのでしょうか。

なぜこのような疑問がわいてきたかというと、ブックオフで見かけた世界史の用語集(○川出版)に、クロアチアが「クロアティア」として表記されていたからなんです。私はこのブログでずっとクロアチアと呼んできましたし、新聞・雑誌でもクロアチアと書かれているのが一般的だと思いますが、クロアチア国内ではクロアティアなのでしょうかね。

ちなみに、クロアチア本来の国名は Hrvatska (フルヴァツカ)といい、現地では当然 Hrvatska と呼ばれています。(参考:その発音を聞く方法は、ホームページの第一課一日目で紹介しています。)でも、英語で Croatia と呼ばれていることはクロアチア人の皆さんももちろん承知しているわけですし、それをどう発音しているのか気になってきました。

かつて耳にしたクロアチアのスポーツの応援歌(サッカーだったかな・・・)で、クロアチア語で歌われていた歌詞のなかに、「クロアツィア!ヴィクトリア!」というのが含まれていたのを覚えています。日本語の歌でも、サビに英語を入れるのが盛んですから、それと似た現象なのかなと当時は思ったものです。とすると、Croatia は現地ではクロアツィアなのでしょうか?それともあの部分だけはドイツ語とかスペイン語だったのでしょうか。

私は夏の終わりに引っ越したせいで、クロアチア人の友人たちともかなり距離が離れてしまい、質問したくてもすぐに聞けなくなってしまったのがとても残念です。

--> この疑問が翌日解けました。「『Croatia』はクロアチアでどう発音されるか」に続く

October 14, 2006

ボスニア語とトルコ語



NHKテレビの語学番組に「アジア語楽紀行」というのがあり、今月と来月は「旅するトルコ語」が放映されています。これはトルコ語に触れる絶好のチャンス(^^) というのは、ボスニア語を学んでいると、トルコの古い単語がボスニア語のなかにものすごく多く取り込まれていることがわって、大変興味深いのです。簡単に言ってしまえば、クロアチア語と比較した場合、ボスニア語の特徴はやはりトルコ系の単語の多さだと思います。約5百年前にオスマン帝国(オスマントルコ)に侵攻されたときの影響だそうです。文法的には、クロアチア語もボスニア語もほとんど同じですが。

5分間番組なので、初めて見るトルコの風景に感嘆しているうちに番組が終わってしまう(笑)

「アジア語楽紀行~旅するトルコ語~」の公式ホームページはこちら。
http://www.nhk.or.jp/gogaku/kikou/turkey/index.html

October 10, 2006

NHKラジオの外国語講座



今月からNHKラジオ・テレビの外国語講座たちが新スタート(番組により再放送)を切りましたね。今回初めていろいろな外国語をラジオで聞きかじってみました。それぞれ初心者でも面白く聞けるようになっていますが、ひとつだけ異色なのがハングル講座です。まったくの初心者の私には、第一回目からこのハングル講座だけは、う~ん、だめ、全然おもしろくなかった・・・。ほかの外国語講座(ドイツ語、フランス語、イタリア語、中国語、ロシア語、スペイン語)はやさしい会話文から入って、重要な構文を毎回ひとつずつ覚えていけば、6ヶ月のコースが終わるころには最低でも100構文覚えられているはずなんですが、ハングル講座は会話文がなく、ハングルの文字を解読したり発音するのが中心です。

しかし!実はそれはそれで当然だったんです。私がもっと早く気付くべきでした。ハングルというのは、朝鮮で使われる文字そのもののことなのだそうですね。つまり、ハングル講座とは、いうなればひらがな講座とかアルファベット講座のように、文字を学ぶのが中心。会話文がないのも無理はありません。やる気があるリスナーのかたにはとても役に立つ講座なのだろうと思いますが、私のようになんとなく聞いている者にとってはハングル文字だけ覚えていくのが苦痛で苦痛で。もう聴講をやめてしまいました。かつて、外国人の友人が、「ひらがなとカタカナを覚えるのがつまらなくてなかなか頭に入らない」とこぼしていたのを思いだし、ああ、こういう気持ちだったのかぁ、と思いました。

教える側に立つと、このハングル講座のような体験は貴重でもあります。何を教えるにしろ、教えられたほうが拒絶反応を起こして、「こんなのもう勉強したくない!」と嫌気がさしたらこちらとしても申し訳ない。受験勉強のようにどんなに嫌でもやらなきゃいけない科目ならまだいいかもしれませんが、自主的に外国語を学ぶ際にそのような気持ちがあるとどうしても長続きしません。また、学習者のそういう気持ちは割と長く引きずるものです。「クロアチア語を教えて!」ホームページに関していえば、まずみんな(われわれ自身も含め)の勉強のやる気が出るような場作りをめざしたいと思います。

さて、予想外に、また聞きたくなった講座も結構ありました。たとえば、スペイン語講座から飛び出す軽い冗談やテーマ・ソングがおもしろい。ロシア語は、クロアチア語に似ているので、クロアチア語との共通点を探すのが楽しいです。クロアチアには、英語は通じなくてもドイツ語が通じる地域やイタリア語が通じる地域がありますから、そういう言語をちょっと覚えておくと役に立つかもしれません。(参考:「クロアチアの子供は英語を話せる?」)それに、イタリア語は日本人にとって発音しやすい気がします。

複数の外国語講座を聞くことのメリットは、意味がわからなくても、いろいろな言語を聞いて発音のまねをしていると、ほんとうに耳や口がすごく柔軟になること。日本語にない音が自然と聞き取れるようになって、どんな音でも発音しやすくなります。これはクロアチア語の発音練習にも凄く役立つんですよ。とにかく、4月と10月は特に(文法もまだ難しくないし発音の仕方を丁寧に解説してくれるので)、NHKラジオの外国語講座たちがおすすめです。

October 7, 2006

ホームページのアドレスが変わりました!



前回お知らせしました通り、「クロアチア語を教えて!」ホームページが引っ越しました。新アドレスは

http://www.croatian101.com/

です。それに伴い、「クロアチアの童話」ホームページも、

http://tales.croatian101.com/

に移転いたしました。

亀吾郎くんがまた力を入れて勉強していく決意だそうですので、読者の皆様、これからもよろしくおつきあいくださいませ^^)

私書箱(Eメール)について



ホームページには、私書箱としてEメール・フォームを設置しておりますが、お使いのパソコンにインストールされているウイルス対策ソフトの種類(ノートン・アンチウイルスなど)により、正常に作動しないことがあるようです。

その場合は、ウイルス対策ソフトを一時的に無効にしてから送信すると正常に送られます。

なお、正常に送信された場合は、送信直後に「*送信完了* メールを送信いたしました。ありがとうございました。」という表示が現れます。それが現れない場合は、送信されていないということです。

過去に私書箱からメールを送信していただいた読者のかたで、こちらからいまだに何の返事もない、または、正常に送信されなかったかもしれない、と思われる場合は、申し訳ありませんが、もう一度送信していただくか、クロアチア語くらぶの掲示板のほうでお知らせくださいますようお願い申し上げます。

私書箱(Eメール・フォーム) 

クロアチア語くらぶ(BBS兼ゲストブック)


追記

【重要です!】Eメールフォームを変えました。新しいアドレスはこちらです。ウイルス対策ソフトに関係なく、正常に作動しています。
http://croatian101.com/contact.html

September 7, 2006

花と亀吾郎



亀吾郎のクロアチア語日記:

Kamegoro & flowers

Pomogao sam Mariko da zasadi ovo cvijeće. Zar nije prelijepo?

麻里子ちゃんがこの花を植えるのを僕も手伝ったんだよ。すごく綺麗じゃない?

I helped Mariko plant these flowers. Aren't they beautiful?

August 22, 2006

チェコ語とクロアチア語



クロアチア語でニワトリ(雌鶏)のことを、 koka(コカ)、 kokoš(ココシュ)、 kokoška (ココシュカ)などというそうです。これを聞いたとき、私は「え、ココシュカ?あのオスカー・ココシュカの苗字??」と思ってしまいました。オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka 1886-1980)は私が中学生の頃から好きだった画家で、20世紀初頭のオーストリアで活躍しアルマ・マーラー(音楽家グスタフ・マーラーの未亡人)とのロマンスなどでもよく知られています。ココシュカとクロアチアの間に何かつながりがあったのかちょっと調べてみました。

オスカー・ココシュカ

グッゲンハイム美術館のホームページによれば、ココシュカはオーストリアの Pöchlarn という町で生まれウィーンで育ったものの、チェコ系の血を引いていて、ナチス政権から逃れるために1935年にはチェコのプラハに移住し2年後にチェコスロバキアの市民権を獲得したとのこと(その後1938年にイギリスに移転)。なるほど、チェコ語とクロアチア語はどちらもスラヴ語系(チェコ語は西スラヴ語系、クロアチア語は南スラヴ語系)ですから、どうりで響きが似ているわけです。「ココシュカ」という言葉がチェコ語でどういう意味なのか結局私にはわかりませんでした。


Oskar Kokoschka 
Photo originally uploaded by apieceofdenise.

チェコ映画 "All My Loved Ones" (Vsichni moji blízcí) 

だいぶ前になりますが、1999年に製作されたチェコ映画 Vsichni moji blízcí を見たとき、やっぱりクロアチア語に似た言葉がたくさん出てきました。私は英語版(英語の字幕付き)で見ましたので日本語版の題名などはわかりません。英語版では "All My Loved Ones" という題がついていました。プラハで幸せに暮らしていたチェコの家族(ユダヤ人)が、ナチス占領によりどんどん追い詰められていく様子や、669人のユダヤ人の子供たちをプラハからイギリスに脱出させた英雄、ニコラス・ウィントンも描かれています。映画の終盤では非常に悲しくなってしまいますが、何もかもうまくいっていた頃の家族の穏やかな日常生活のシーンなどがとても素敵でした。

この映画を見ている際よく耳に入ってきたのが「ドブレ」とか「ドブリ」という言葉で、クロアチア語の dobro/dobar/dobra (英語の good にあたる) とほぼ同様に使われていたように思います。クロアチア語でおはようは "Dobro jutro."(ドブロ・ユートロ)といいますが、チェコ語では "Dobré jitro." または "Dobré ráno." になるそうです。本当によく似ていますね。

参考:
All My Loved Ones (Vsichni moji blízcí)(Internet Movie Database)
Nicholas Winton(ウィキペディア、英語版)

August 7, 2006

日本民話データベース



先月私たちは「クロアチアの童話」というサイトを立ち上げましたが、日本国内の童話・民話にもとても興味があります。特に最近は「日本民話データベース」(追記:新しいアドレスはこちら)というホームページがお気に入り。日本各地の語り手のみなさんのお話をMP3で聞きながら素敵な時間を過ごさせてもらっています。

先日、たまたま藤原ツヂ子さんの語りを聴いていて、藤原さんの出身地である東京都の檜原村のことが知りたくなって検索したらこんなウェブカメラにたどり着きました。


画面を自由に拡大・縮小できて楽しいです。夜は照明がないということで午後6時から午前6時までは見られませんが。東京都ですから、関東地方にお住まいでしたら行き易い距離ですね。滝の映像が涼しげなので、私もぜひ行ってみたくなりました。

July 24, 2006

第5課23日目が完成



クロアチア語を教えて!」ホームページの第5課23日目「私は苺が好きです。」は、ずっと前にアップロードだけはしてあったものの、未完成のままかなり長い間放置されてたものですが、このたびようやく修正を加えて完成しました!ほっ。

July 22, 2006

クロアチアの童話 - ヤゴル第二章追加



クロアチアの童話」ホームページに、ヤゴルの第二章を追加しました。(日本語版、クロアチア語版、英語版)

また、第一章にも、写真を少し加えました。

第二章では、意外な登場人物が死んでしまって驚きました・・・。ぐすん。

July 18, 2006

ホームページが今朝からダウンしています(一応復旧済み)



「クロアチア語を教えて!」と「クロアチアの童話」のサーバーがダウンしているようで、現在閲覧できません・・・。

普段は、エラーがでても、ブラウザで再読み込み(リフレッシュ)すると瞬時に回復するんですが、今日はずっと閲覧不可能の状態です。時間をおいてまた試してみます。

追記:
サーバー側からの告知によると、約7時間半ダウンしていたそうです。現在は一応回復しています。

文字エンコード

でも・・・サーバーのエンコード設定が変わったようで、現在文字化けしています。もしもホームページが文字化けして読めないときは、文字エンコードをUTF-8に設定すると読むことが出来ます。それにしても、ページをめくるごとにエンコードを手動で設定しないといけないだなんて、面倒!!

この件については、問い合わせてみます。しばらく文字化けが続くかもしれません(涙)。

追記:
翌日にはすべて回復しました。現在は、文字化けが起こることなく閲覧できます。ただ、まだ不安定な状態かもしれないので、エラーが出たらブラウザで再読み込み(リフレッシュ)することをおすすめします。

June 18, 2006

ハリ・マタ・ハリ



6月1日の日記「ユーロビジョン2004、セルビア・モンテネグロのビデオクリップ」の続きです。

どうも雰囲気がよく似ていると思ったら、ユーロビジョン・ソングコンテストで2004年に2位になったセルビア・モンテネグロの曲と、今年3位になったボスニア・ヘルツェゴビナの曲は、同じ人の作曲によるものだったんですね!おみそれいたしました。

2年前にセルビア・モンテネグロ代表として出場して2位をしとめたジェリコ・ヨクシモヴィッチ(Željko Joksimović)さんが、今年のハリ・マタ・ハリ(Hari Mata Hari) の "Lejla" (レイラ)の作曲も手がけたのだそうです。(詳細は英語版のウィキペディアに載っています。:Hari Mata Hari) 私は今回の "Lejla" よりも2年前の "Lane Moje" のほうが好きでしたけれども。

Hari Mata Hari という名前

さて、Hari Mata Hari のヴォーカルを務めるのは Hajrudin Varešanović さんといいます。Hajrudin という名前を聞くと、あのスタリ・モストを建築したと言われているオスマントルコ の Mimar Hajruddin を思い出すので、これはきっとムスリム系の名前なのかなと思っていましたが、クロアチア人の友人によれば、Varešanović(ヴァレシャノヴィッチ)という苗字はむしろセルビア人っぽい響きがある、ということです。先述のウィキペディアの記事によると、歌の題名に使われた "Lejla" というのはアラブ(ムスリム)系の女性名らしく、そういえばこのブログで過去に言及したボシュニャク人(ムスリム)にもレイラさんという方が二人出てきました。

Hajrudin を簡略化した呼び方が Hari ですから、Hari Varešanović と表記してあることも多いです。一説によると、彼の昔のあだ名が「マタ・ハリ」(20世紀初頭に欧州の二重スパイとして逮捕され処刑された踊り子)だったせいで Hari Mata Hari というステージ名にしたのだとか。「マタ・ハリ」はこの女スパイの踊り子としての芸名であり、語源はマレー語またはインドネシア語で eye of the day (日の眼、すなわち太陽)を意味するそうです。これも詳しくはウィキペディアでどうぞ。(ウィキペディア:マタ・ハリ

バンドの Hari Mata Hari は現地ではもう長年有名だし、私もこの名前がもうずっと気になっていたので、これですっきりしました。「ハリ」は英語名にすれば「Harry (ハリー)」。ハリー・ポッター・ファンの私達としてはハリではなくハリーと書きたいところですw

Lejla の歌詞

ハリ・マタ・ハリの公式サイトへ行くと、"Lejla" の歌詞を3ヶ国語で読むことが出来ます。(ボスニア語、英語、フランス語)
http://www.hari-mata-hari.com/ (追記:リンク切れ)

ビデオは5月31日の日記のほうで見られます。まだご覧になっていない方は、ぜひヘルツェゴビナの風景をお楽しみください。

ユーロヴィジョン・ソングコンテストのライブ映像

日本の演歌のような歌いまわしが聞けます。

Lane Moje


Lejla


ブログ内関連記事:
ユーロビジョン2004、セルビア・モンテネグロのビデオクリップ
モスタル周辺で撮影されたビデオ!

June 17, 2006

クロアチアの童話 - 別館設立



クロアチアの童話」という別館が出来ました。今のところは、「ヤゴル」(イヴァナ・ブルリッチ=マジュラニッチ作)という物語の第1章だけです。日本語と英語とクロアチア語に対応しています。

クロアチア人の言葉使い(というか言葉の選び方)にはすごく愛嬌があって、英語が全然得意でない人でもとても魅力的な言い回しが出来るのでいつも感心しているのですが、このヤゴルのお話からそういうものを少しでも感じ取っていただければ嬉しいです。

今後、脚注や挿絵(または写真)なども追加していく予定です。

June 1, 2006

ユーロビジョン2004、セルビア・モンテネグロのビデオクリップ



昨日の日記「モスタル周辺で撮影されたビデオ!」の続きです。今年のユーロビジョン・ソング・コンテストで3位を受賞したボスニア・ヘルツェゴビナの曲はかなり演歌調ですが、2年前(2004年度)に第2位になったセルビア・モンテネグロの曲もそうでした。私はこの曲がすごく気に入って、MP3でよく聴いていました。声だけではもっと年上の人のように感じていましたが、画像で見ると結構若いですね(笑)1位だったウクライナの曲よりもこのセルビア・モンテネグロの曲ほうがずっと良かったと思いますよ、私は。セルビア・モンテネグロは、今年は残念ながらゴタゴタがあって出場辞退になってしまいましたけれども、ユーロビジョン・ソング・コンテストの決戦があった週末は、モンテネグロの独立をめぐる国民投票もありましたし、もしも出場していたら現地の皆さんは緊張の連続だったでしょうね・・・。

その2位になったセルビア・モンテネグロの曲のビデオクリップはこちらです↓
追記:上記の動画がリンク切れになっていたので、別の動画を貼ります。セルビア語の歌詞とその英語訳付きです(訳は完全ではありませんがご参考までに)。



--> 「ハリ・マタ・ハリ」に続く

May 31, 2006

モスタル周辺で撮影されたビデオ!



約10日ほど前に、2006年度 ユーロビジョン・ソング・コンテストの決勝戦がギリシャで開かれ、ボスニア・ヘルツェゴビナが第3位に輝きました。おめでとう!!1位はフィンランド、2位はロシア、ちなみにクロアチアは13位でした。

今回、ボスニア・ヘルツェゴビナを代表したのは Hari Mata Hari というグループです。Lejla(レイラ)という歌で出場しました。その曲のビデオクリップは、モスタルのあの有名な橋(スタリ・モスト)周辺でも収録されており、とてもいい雰囲気なので、興味がおありの方は是非ご覧になってください。曲調はかなり演歌っぽいです(^^;)



一方、今年のクロアチアの曲は、ポップソングというよりもなんだか民俗音楽色が濃すぎてノリが悪かったと思うのは私だけでしょうか・・・。数年前に2位になったセルビア・モンテネグロの曲がとても良かったので、ビデオが見つかったらまたご紹介します。

ユーロビジョン・ソング・コンテストは、ウィキペディアによると「ヨーロッパ放送連盟に国営放送が所属する多数の国が参加して行われる、楽曲の評価会である。」(ウィキペディア:ユーロビジョン・ソング・コンテスト)と説明されていますが、つまるところはヨーロッパの国々対抗の歌合戦のようなものです。いまは、インターネットで映像がすぐに出回るので、日本からでも楽しめます。

「ユーロビジョン2004、セルビア・モンテネグロのビデオクリップ」に続く

May 11, 2006

アンジェラちゃんの音読練習



クロアチア南部に住むアンジェラちゃん(7歳)の音読練習の音声ファイルを、ファイル置き場にアップロードしました。(アドレスはこの記事の下のほうに示してありますのでリンクを辿ってください。)一生懸命練習していてとてもかわいいです。南部のアクセントがありますが、つっかえながらもゆっくり読んでいるので、音の参考になります。アンジェラちゃんは、私の友人(クロアチア人)のご親戚のお子さんです。ファイルはメールで送ってもらいました。私がその場にいたわけではありません (^^;)

アンジェラちゃんが読んでいるのは学校の宿題で、クラスの子供たちが同じ内容の本をそれぞれ家に持ち帰り、音読練習をして数日後に学校へ返却するのだそうです。アメリカの小学校などでも教科書を子供たちが共同で使ったりするみたいですね。日本の小中学校ではいつも自分専用の教科書がもらえると言ったら皆さん驚いていました。

音声ファイルの内容は下の通りです。

moon1.mp3 (601KB)
Lebdeći visoko iznad lijepe zemlje Hrvatske, zvijezda Večernjica ugleda na brijegu malu bijelu crkvu.

(英訳)Floating high above the beautiful country of Croatia, the Evening Star sees a small white church on a hill.
(日本語訳)美しいクロアチアの空高くに浮かび、宵の星が丘の上の小さな教会を見ています。

moon2.mp3 (391KB)
Crkvica nekoliko puta tako teško uzdahne da se čulo do neba.

(英訳)The little church sighs a couple of times so strongly that it could be heard in the sky.
(日本語訳)その小さな教会さんは、空でも聞こえるほどのとても大きなため息を2、3回ついているのです。

moon3.mp3 (416KB)
Nato Večernjica pozove Mjesec:
- Striče Mjeseče, molim te, posvijetli malo jače.


(英訳)The Evening Star calls the Moon:
- Uncle Moon, please, shine a little brighter.

(日本語訳)宵の星は月に呼びかけます。
「月のおじさん、お願いです、もう少し明るく輝いてください。

moon4.mp3 (279KB)
Dolje je neka nevolja, crkvica plače.

(英訳)There's some trouble down there, a little church is crying.
(日本語訳)下のほうで何か困った事があるようで、教会さんが泣いています。」

上記の音声ファイルの置き場所へ行くには「ここ」をクリックしてください。ファイルにはパスワードがかかっていますが、どなたでもアクセスできます。

パスワードの入力欄には unclemoon と入れてください。

語句

crkva = church 教会
crkvica = little church 教会さん、教会ちゃん(小さくてかわいいものを呼ぶときに使われる言い回し。)

May 7, 2006

ザグレブに「失恋博物館」誕生



クロアチアの首都ザグレブに、失恋博物館(Museum of Broken Relationships)なるものが作られたそうです。詳細はライブドア・ニュースで。
【ファンキー通信】淡い恋の思い出は、「失恋博物館」に寄贈!?

寄贈品はラブレターや写真をはじめ、テディベア、100本の枯れた薔薇、使用済みのストロー、カフス、ブーツ、頭皮マッサージ機(?)、鼻をかんだ後のチリ紙(!)など、すでに200品以上。寄贈者の年齢も16歳から60歳以上までと幅広く、中には祖母の品物だと言って、1926年に使用されていた日記帳を持ってきた人もいるんだとか。(前後略)

興味本位で、あまり期待もせずにこの博物館の公式ホームページ www.brokenships.com へ行ってみました。上の記事では、「祖母の品物だと言って、1926年に使用されていた日記帳を持ってきた人もいる」となっていますが、実際に展示されていたのはなんと、

Granny’s box, 1926

Memories of Grandmother’s tragic love. Her fiancé Karlo drowned accidentally in a river in 1926.(展示品へのリンクは「ここ」。)

というもので、1926年に川でおぼれて死んだ婚約者の写真や思い出の品を保管している(いた)おばあちゃんの箱と当時の日記・・・。なんと奥が深いんでしょう!不意に心打たれてしまいました。まだ展示数が少ないですが、これからもっともっとおもしろくなると思います。おばあちゃんの箱を見たあとは、この博物館がなんだかとても好きになりました!

「可愛くノスタルジックな船のコンテナ内で70品を展示しています。船のコンテナは崩壊した関係を思わせる、格好の場所」だそうです。broken shipと broken relationship を引っかけていて、粋ですね。

April 30, 2006

ウサ之助を一番上に置いてみます



ブログペットのウサ之助を、再び一番上に持ってきました。結構マイナーな言葉を名詞として認識するので、クリックすると「ミロシェビッチ」とか、「タノヴィッチ」とか言い出したり、「Bog」とも言えます(笑)

サイバー上で飼うペットはいろいろありますが、私にとってはどれも80点未満といったところなので、もうそろそろずば抜けて面白いものが出てきてもいい、というか是非出てきて欲しいと思う今日この頃。

April 29, 2006

故ミロシェビッチ元大統領の手紙



セルビア版のウィキペディアに、先月亡くなったミロシェビッチ元大統領が死の直前に書いたという手紙の写真が載っています。一体何が書かれていたのか・・・私にはすごく気になったのですが、こんな小さい写真でしかも手書きだし(英語だけど)、私にはほとんど読めませんでした(涙)しかたなく外国人の友人たちに見てもらったら、数箇所以外は難なくスラスラと読んでくれて、さすがぁ~!!と思いました(≧◇≦)

正確には、これは手紙に添えられたカバーレター(またはその下書き)で、手紙と同様にミロシェビッチ氏が手書きで書いたものだそうです。下のサイトに行くと、写真がページの下のほうに載っています。
  • Слободан Милошевић(セルビア版ウィキペディアより) (追記:写真は既に削除されているようで、見ることが出来ません)
  • 追記:上と同じ写真がこちらのサイトで見られます。ずっとスクロールダウンしていくと手紙があります。⇒ Milošević umrl zaradi infarkta (24ur.com より)
ウィキペディアは誰でも編集できるフリー百科事典なので、たまに誰かのいたずらで不正確な情報が載ったりすることもあります。それで私は最初半信半疑だったのですが、ミロシェビッチ氏の弁護士だったズデンコ・トマノヴィッチ氏がこのカバーレターを手に持っている写真を見て、本物だと納得しました。その写真はこちら。
さて、朝日新聞によれば、

ロシアのラブロフ外相は13日、元ユーゴスラビア大統領のミロシェビッチ被告が死の直前に獄中でしたためた書簡が届いたと語った。書かれたのは8日。11日に死亡が確認されたミロシェビッチ被告の最後のメッセージになったと見られる。
  • 「死の直前、ロシアで治療求める手紙 ミロシェビッチ被告」より(朝日新聞、3月14日)

ということなのですが、このカバーレターを見たら、日付けがなんと、亡くなる前日の3月10日なんです*1。ということは、手紙が書き始められたのが3月8日で、それに添えるカバーレターは何らかの理由により10日に書かれ(手紙を書くのに2日間かかったということなのかも?)、おそらくその日に投函、そしてロシアに着いたのが13日頃なんですね。 または、時差の関係で日付がずれたのかもしれません。

冒頭で申しましたように、友人たちに解読してもらったミロシェビッチ元大統領のカバーレター。内容はだいたいこんな感じです。(よく見えないので、正確なことは私達にはわかりません。)

Ambassy [Embassy] of the Russian
Federation

Den Haag

Dear Gentlemen,
Please find enclosed the letter
of mine, addressed to Ministery [Ministry] of
Foreign Affairs of the
Russian Federation, with
my request to be so kind
as to pass the letter to the
Ministery [Ministry] in Moscow.

Best regards,
Slobodan Milošević

10.03.06.
Den Haag

明らかに Embassy や Ministry のスペルが間違って書かれているので、これは下書きだったものなのか、急いでいたのか、うーん、よくわかりませんが、とにかく、ハーグでこれを書いた翌日には亡くなってしまいました。 手紙のほうは、手書きで6枚ということですが、その英語訳が気になる方は、下のサイトで読めます。
それにしても、なぜ手書きだったのでしょうかね??ミロシェビッチ氏は、自分で自分の弁護士を務めていた関係で、拘置所でも特別にパソコンやFAXやインターネットも与えられ、かなり恵まれた環境にあったそうです。公式文書で手書きって珍しい。もっとも、すべては監視下にあったはずなので、隠れてロシアに手紙を送るには手書きのほうが無難だったのかもしれません。

ブログ内関連記事:
ミラン・バビッチ氏の自殺
ミロシェビッチ元大統領の死
*1:クロアチア語やセルビア語で日付を書く場合、日、月、年、の順になるので、10.03.06.は2006年3月10日という意味になります。

April 28, 2006

クロアチア語、ボスニア語、セルビア語の間の深い溝



前回の日記「クロアチア語の挨拶」の続きです。

いろいろな言い回しの中からもっとも適当なものを状況に合わせて選ぶのってどの言語でも難しいですね。そう嘆いていたらクロアチア人の方に、「クロアチアでどんなに間違った言い回しをしたとしても、外国人だからということでみんな大目にみてくれるから心配しないで大丈夫だよ、セルビア語を使うことさえしなければ。」と冗談まじりに言われてしまいました。

もちろん、これは本当に冗談で、外国人が悪気なくセルビア語を使っても、それに対して目クジラをたてるようなクロアチア人は滅多にいないということなので、間違えることを恐れずにどんどんしゃべったほうがいいと思います(^ ^;)

でも・・・確かに外国人なら笑って許してもらえそうですが、これが現地の人だと、まんざら冗談でもなさそうです。紛争後のクロアチアでは、セルビア語がかなり忌み嫌われているようなので・・・。クロアチア語、ボスニア語、セルビア語は、文法的には3つともほどんど同じで方言程度の差しかないそうです。しかし、人々の意識の中では、「かつて敵だった人々の言葉」とか「私の息子を殺した者たちの言葉」というふうになってしまいます。クロアチア人の大多数がどんなに民族間の和解や平和を望んでいても、戦後まだ10年しかたっていなくて人々の心はいまだに深く傷ついていますから、耳にするセルビア語に過剰反応してしまうのも無理はないかもしれません。

ちょっと話はそれますが、「気違い」という日本語がどうして日本で放送禁止用語なのか、ウィキペディアで調べてみたら現在こう出ています。

回復治療期に、テレビ・ラジオでこの語を聞いた精神障害者がショックを受けることにより、治癒を妨げる恐れが指摘されたことから、関西の民間放送各社が使用の自粛を呼びかけた。このため、現在ではほとんどの放送局で放送禁止用語(放送自粛用語)に分類している。一般社会においても差別用語とされる。

ウィキペディアの「きちがい」の解説より

私の親戚には、この言葉を「馬鹿」や「阿呆」と同義で気軽に使う人たちが(かなりの年配とはいえ)結構いるので、私にとってはそれほど悪い言葉という意識はなかったのですが、この言葉を聞いてショックを受ける人がいるなら、放送禁止用語になるのもわかります。(これを見て気を害された方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。)

セルビア語は、クロアチアで「放送禁止用語」とまではいきませんが、クロアチアのテレビやラジオや公式文書などでは、近年徹底的にクロアチア語っぽい言い回しが好まれています。それは、単にセルビア語がクロアチアの人の気を害するからだけでなく、民族のアイデンティティーを守るためにはクロアチア独自の言葉を使うことが必要だという意識に基づいているようです。(参考:昨年12月28日の日記「クロアチア語の格変化」

それに関して、昨年のこんなニュース記事がありました。
「バルカン半島情勢、民族主義が生み出す言葉の壁」(JanJanより)(追記:リンク切れ)
⇒ 追記:同じ記事がこちらの INPS-Japan のサイトで読めます。英語の元記事はこちら

この記事には、クロアチアではクロアチア語独自の新語がどんどん作られ、「FAXは新表現では “dalekoumnozitelj(長距離コピー用機械)”となる」などの例も出ています。

このことに関して、ザグレブの銀行家ミリアナ・トンチッチ氏(36歳)は、「公的なコミュニケーションでFAXという単語を使えないとは信じられない状況です」「新しい単語を使うことにはなっているけどどうやって発音していいかさえ分からないのよ」とIPSに語った。

他にも、ヘリコプターは今では “zrakomlat (空を切る機械)”、ハードディスクは “kruzno velepamtilo (大きな記憶容量を持った円形機械)” といった具合だ。

私がクロアチアの方から聞いた話では、「羊」という言葉の新語の案も、クロアチア人でさえ笑ってしまうほど変なものだそうです。今まで羊は、セルビア語と同じで ovca と言われていました。新語の案では、「4つ足でムクムクとした巻き毛の哺乳類動物」とかだそうで、ここまでくるとやり過ぎでこっけいだと言っていました。徹底してクロアチア語をセルビア語から分けようとする動きを推し進めているのは主に政治家たちなので、一般の人々には戸惑いもあるようです。

同様の現象、すなわち、自国の言語を他から分けようとする動きは、セルビアでもボスニアでも起こっています。クロアチア語とボスニア語とセルビア語は文法的には方言程度の差しかなくても、それぞれの言語間の精神的な溝はとてつもなく深いですね。

April 25, 2006

クロアチア語の挨拶



クロアチア語の「こんにちは」の挨拶で、カジュアルなものには

Zdravo ズドラーヴォ(元の意味は「健康」)

Bog ボーグ(元の意味は「神と共に」)

Bok ボーク(Bog の発音を言いやすくしたもの)

Ćao チャオ(イタリア語の Ciaoから)

Bokić ボキッチ(Bokを、おちゃめな感じで言うとこうなる。俗語。)

などいろいろありますね。それぞれどう違うのか、復習もかねてクロアチア人の友人たちに聞いてみました。

クロアチアの首都ザグレブ周辺でよく使われる Bog は、Zbogom("[Go] with God"「神と共に」の意味で、別れの挨拶として使われる)の真ん中を取ったものですが、ボスニア・ヘルツェゴビナに住むクロアチア人の多くはむしろ Zdravo のほうを好むようです。神の名を軽々しく口にしたくない場合や、ボスニア・ヘルツェゴビナのように複数の民族が住む場所では、「健康」という意味合いを持つ Zdravo のほうが挨拶としては無難なのだそうです。

しかし、クロアチア国内では、この Zdravo という言葉が好まれない場合があります。クロアチアが独立する前のユーゴスラビア社会主義連邦共和国では、宗教色の濃いものが公の場ではあまり好まれない傾向にあったため、気軽な挨拶には Zdravo のほうがよく使われていました。それで、現在クロアチアで Zdravo と言うとなんだか社会主義者のように聞こえるとか、(クロアチア人側からみたら社会主義寄りの)セルビアっぽい響きがあるという理由で、Zdravo という言葉を敬遠する人々がいるのです。

では、キリスト教信者でない日本人がクロアチアに行って、Zbogom や Bog (「神と共に」)などと言ったら変に聞こえるでしょうか、と聞いてみました。すると、クロアチア国内ではもう挨拶の言葉として定着しているので、日本人でも Zbogom や Bog を使って差し支えない、という答えが返ってきました。クロアチア国内では、誰でも Zbogom や Bog を使えると考えてよさそうです。

一方、ボスニア・ヘルツェゴビナのクロアチア人は、話し相手がクロアチア人だとわかっている場合には Zbogom や Bog を使うこともあるけれど、相手がセルビア人やムスリム(ボシュニャク)、または相手の宗教がわからない場合は Zdravo を使うそうです。セルビア語にも Zbogomという言い方はありますが、セルビア人はカトリックではなく東方正教会またはセルビア正教徒なので、異教の人に「神と共に」と言うのは何だか変な感じがするのだとか。

挨拶の言葉にすらこんなに気を使わないといけないなんて、多民族が住む場所というのは大変ですね。Zdravo か Bog か、一体どっちを使ったらいいんだ!と迷った場合には、Dobar dan (ドバル ダーン) が便利です。Good day (Good afternoon) という意味で、最も中立的な言い回しです。でも、場合によってはちょっと堅苦しい。もっとカジュアルに言いたいけれど、人の気分を害するようなことは言いたくない・・・。そんな場合に、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナに住むクロアチア人の間で近年好まれているのが、イタリア語のチャオ。「やぁ。」にも「じゃあね。」にも使えます。

クリスマスなのにメリー・クリスマスと言えないアメリカ

宗教的な意味合いを持つ言葉に気を使うのは、バルカン半島だけではありません。やはり多民族国家のアメリカでも、テロ事件以降、民族の共存にとても敏感になっています。なんと、メリー・クリスマスという言葉さえ、公の場(市役所やお店など)の従業員や所員の間で禁止されている場合があります。Merry Christmas! のかわりに、Happy Holidays! と言う様にしつけられるのだそうです。下は、Boston Globeのニュース記事です。
De-Christmasing Christmas

この記事によれば、毎年カナダのノヴァ・スコシアからボストンに寄贈される巨大なクリスマス・ツリーが、昨年末のボストン市のホームページでは敢えて「ホリデー・ツリー」と称されて紹介されたということです。異教徒の市民に対する配慮なのだそうですが、大多数のアメリカ人にとっては紛れもなく「クリスマス・ツリー」なわけで、クリスマス・ツリーをクリスマス・ツリーと呼べないクリスマスなんておかしい、という声もたくさんあるそうです。アメリカの FOXテレビのニュースキャスター、ジョン・ギブソンさんが書いた「The War On Christmas」という本によれば、イリノイ州の政府機関では職務中にメリー・クリスマスと言うのが禁止され、また、ニュー・ジャージー州のある学校では、伝統的なクリスマス・キャロルの演奏が禁止になったそうです。詳しいことは、この本の書評の中で読めます。
The War On Christmas (Goofigure.com より)

私ももっと言葉の使い方に気をつけようと思いました・・・。

「クロアチア語、ボスニア語、セルビア語の間の深い溝 」に続く


参考:「クロアチア語を教えて!」ホームページ レッスン2、6日目「クロアチア語の挨拶」

April 21, 2006

「Lijepa naša Hrvatska」という曲へのリンクを追加しました。



「クロアチア語を教えて!」ホームページのデザインを少しだけリニューアルし始めました。ついでに、Day 1に Lijepa naša Hrvatska(私達の麗しきクロアチア、Our beautiful Croatia)という歌詞で始まる歌(mp3)へのリンクを追加しました。
Day1: クロアチアってどこ?
⇒ 曲を直接聞くなら、クロアチアの観光局のホームページへ。(追記:リンク切れ)

クロアチアの観光局が、Volim Hrvatsku (I Love Croatia)というキャンペーンの一環として作った曲だそうです。観光地として急成長しているクロアチアの自然・環境保護を呼びかける歌のようですね。コマーシャルソングとしてTVやラジオで流されました。(いまでも使われているかもしれません。)映画「シュレック」の第1作目で、シュレックとドンキーがファークアード卿の国に到着した時、入り口でからくり人形たちが歌い出しますよね?なんだかあのシーンを思い起こさせるようなコーラスじゃありませんか?(笑)子供たちが歌っていて、とてもかわいい。

歌詞は、クロアチア国歌の「Lijepa naša domovino」(Our beautiful homeland)に少し引っかけている部分があります。ドラヴァ川、サヴァ川、ドナウ川は国歌のほうにも出てきます。曲の雰囲気やメロディーなどは全然違います。

参考:Project ”I LOVE CROATIA 2004 - More flowers, less garbage” (このプロジェクトの目的など。英語。)(追記:リンク切れ)

歌詞の一部は下の通りです。歌っていたら耳について離れなくなってしまいました(^^;)

クロアチア語
Lijepa naša Hrvatska, Hrvatska, Hrvatska
I obala Jadranska, Jadranska
I čisto plavo more
S više cvijeća manje smeća

Nek zvoni pjesma s Jadrana
Od Drave, Save, Dunava
Nek paze svi, nek paze svi
Jer Hrvatska smo ja i ti

だいたいの発音
リェパ ナシャ フルヴァツカ フルヴァツカ フルヴァツカ
イ オバラ ヤドランスカ ヤドランスカ
イ チスト プラーヴォ モーレ
ス ヴィシェ ツヴィエチャ マニェ スメーチャ

ネック ズヴォニ ピェスマ ス ヤドラナ
オッ ドラーヴェ サーヴェ ドゥナヴァ
ネック パーゼ スヴィ ネック パーゼ スヴィ
イェル フルヴァツカ スモ ヤ イ ティ

英語訳と日本語訳
Our beautiful Croatia, Croatia, Croatia
And the shores of the Adriatic Sea, Adriatic Sea
And the pure blue sea
With more flowers and less garbage

Let the song from the Adriatic Sea chime
From Drava, Sava and Danube
All should make sure, all should make sure
For Croatia is me and you

私たちの麗しきクロアチア、クロアチア、クロアチア
アドリア海の海岸、アドリア海の海岸
そして真っ青な海
花をもっと多く、ゴミはもっと少なく

アドリア海から歌を響かせよう
ドラヴァ川やサヴァ川やドナウ川から
みんなで気をつけよう、みんなで気をつけよう
だってクロアチアは私でありあなただから

(追記 2012/11/01:YouTubeで見つけたビデオクリップを下に貼り付けます。長いバージョンなので、上記の歌詞とは少し違う部分が含まれています。)

April 19, 2006

ダニス・タノヴィッチ監督の「美しき運命の傷痕」



ボスニア紛争の兵士たちを描いた映画「ノー・マンズ・ランド」のダニス・タノヴィッチ監督が、フランス語の映画を作りましたね。 (製作はフランス、イタリア、ベルギー、日本の合作となっています。)邦題は「美しき運命の傷痕」といいますが、原題は L'enfer(地獄)です。残念ながら私にはまだ見る機会がありません。日本では4月8日から上映中です。

ダニス・タノヴィッチ監督といえば、私にとってはどうしてもボスニア映画の人という印象が強く残っていたので、なぜフランス?と思ってしまいました。でも、インタビューを読んでみたら、実は結婚してフランスで暮らしているということが書いてあって、なるほど~、納得。「ノー・マンズ・ランド」でデビューし、三姉妹とその母を描く「美しき運命の傷痕」を監督するまでに至る経緯や心境の変化などが、ガーディアンのインタビューで詳しく読めます。(英語)
The hell in our own heads (Guardian)

上の記事によると、ベルギー人の奥さんとの間に子供が3人いて、4人目が生まれるそうです。フランス語は、ベルギーでは公用語のひとつでもあるので、おそらく奥さんはフランス語で育ったのだと思われます。

この映画に出演しているフランス女優のキャロル・ブーケのインタビューも読んでみましたが、そちらでは監督の奥さんは「フランス人」ということになっています。ベルギー系のフランス人なのかもしれませんね。
「美しき運命の傷痕」、仏大女優キャロル・ブーケを直撃!(エイガ・ドット・コム)

「美しき運命の傷痕」の公式サイトでは、タノヴィッチ監督と女優エマニュエル・ベアールのインタビューと、記者会見の動画などが見られます。エマニュエル・ベアールって、年をとっても相変わらず目がかわいい。映画が楽しみです。

「美しき運命の傷痕」の日本版公式サイト
http://www.utsukushiki.jp/(追記:リンク切れ)

April 16, 2006

クロアチアのことわざ (1)



クロアチアのお金の単位であるクーナ*1に関しまして、クロアチア語くらぶ BBS兼ゲストブック のほうで duga さんにいろいろ教えていただきました。ドイツ語版ウィキペディアに載っているクーナの情報の一部を日本語に訳していただき(Date: 2006/04/15 No.105の書き込み)、かさねてお礼を申し上げます。

外国についての情報を探すときは、やっぱり海外サイトで検索したほうが詳しいことがわかりますね。というか、情報量が月とスッポン!外国語が理解出来ると世界がぐっと広がるなぁとつくづく感じます。インターネットの海にはあらゆる言語の情報が浮かんでいるのに、日本語のものだけしか釣らないのはもったいない。

そして、今回もそうでしたが、英語&それ以外の言語が分かるとさらにいろいろな情報を釣り上げて理解することが出来るんですね。英語の記事といえばアメリカやイギリスのメディアのものが主流ですが、バルカン半島からはちょっと遠くなりますから、ものの見方の角度がどうしても違ってくると思います。ドイツやイタリアなど、ヨーロッパの中からお隣のバルカン半島を見ると、少し違う姿が見えるはず。ニュース記事を読んでいると特にそう感じます。

ヨーロッパでは3、4ヶ国語がわかる人々が珍しくないと聞きます。クロアチアでも、外国語の勉強は重要視されているそうです。(どの外国語を習うかは地域や学校によっても違うので、英語が話せない人もいますが。)

そんなクロアチアのことわざに、このようなものがあります。

Čovjek vrijedi onoliko koliko jezika zna.

( = A man is worth as many languages as he knows.)

より多くの言語を知る者ほど価値がある、というような意味です。(この場合の「知る」は、「理解できる」ということ。)

今なら私も同感です。勉強がんばろう・・・。ここで弱気になるのはなぜ(笑)

April 15, 2006

「グルバビツァ」



少し古い話になりますが、約2ヶ月前、ボスニア映画の「グルバビツァ」(Grbavica) がベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞しましたね。ストーリーは、ボスニア紛争中、首都サラエボのグルバビツァ地区にある自宅でセルビア人兵士に性的暴行を受け妊娠した女性とその娘のお話だそうです。私も是非早く見たいと思っています。

この映画に関連してこんな記事を読みました。
国際女性デー:忘れられているボスニアの性的暴行被害者(IPS)

上の記事によると、「ボスニアのメディアがこの話題を取り上げたのも、映画『グルバビツァ』がベルリン国際映画祭で受賞してからのことだ。」「昨年7月国連児童基金(ユニセフ)は、ボスニアでの性的暴行によって産まれた子どもたちに関する報告書を依頼したが、理由は不明のまま出版されなかった。」という記述があり、ボスニア社会がこの問題を直視する準備が出来ていないということらしいです。私はこれを読んだとき、臭いものに蓋をするためにメディアがこの問題(ボスニア紛争中の性的暴行被害)を敢えて避けていたのかな?と思いました。確かにそういう理由もあると思われますが、単にそれだけではないようです。現地の友人に意見を聞いてみました。

先述の記事の中でも言われているとおり、「セルビアではこの問題はタブー視され、そのようなことは起こらなかったと広く否定されている」ため、こういう微妙な問題を取り上げる記者たちは(場所によっては)命がけのリスクを負う事にもなるのだそうです。ボスニア・ヘルツェゴビナには三民族が共存しており、メディアもボシュニャク(ムスリム)系メディア、セルビア系メディア、クロアチア系メディアというように三種三様で、それぞれの主張・見解が異なることが多いです。たとえば、ひとつの新聞社が何かを書いた場合、それに同意しない民族の過激派がその新聞社の車に爆弾を仕掛けたり、脅迫してきたりする可能性があり、記者やその家族が危険にさらされてしまうかもしれません。特に、首都サラエボ周辺は政治の中心でもあり、三民族の代表が出入りすることが多いので、過激派の活動も活発だそうです。メディアが書きたくても危険で書けない場合があるわけですね。その点、「グルバビツァ」は芸術なので表現の自由もあるし、国際的な映画祭で受賞したため、どのメディアも堂々と取り上げることが出来て、本当によかった!

クロアチア国内のメディアのほうが、気兼ねなく自由に発言できるそうです。そりゃそうですよね、周りはほとんどクロアチア人なわけですから反対勢力の意見を気にする必要がありません。それで、ボスニア・ヘルツェゴビナに住むクロアチア人でも、クロアチア国内のメディアを好んで読む人たちがたくさんいるようです。また、ボスニア・ヘルツェゴビナのメディアであっても、反対派が寄り付かないような場所(たとえばクロアチア系の住民ばかりが多数住む地域とか、セルビア系住民ばかりの地域など)にあるメディアならば割と自由に発言できると思います。

グルバビツァ」が受賞する前でも、欧米のメディアはボスニア戦争の性的暴行の被害について取り上げていました。このブログでも昨年の10月5日の日記「ボスニア紛争の終結から10年たっても(2)」で取り上げましたので、そちらも参考にどうぞ。

映画「グルバビツァ」(Grbavica)の公式サイト:
http://www.grbavica.ba/ (ボスニア語と英語)(追記:リンク切れ)
監督:ヤスミラ・ジュバニッチ(Jasmila Žbanić)

日本でも・・・

戦争の問題とは離れますが、日本ではこんなニュースが出ていました。
DV被害の3割「夫から」 悩める女性浮き彫り ≪半数は誰にも相談できず≫ (産経新聞)

「内閣府が14日発表した「男女間における暴力に関する調査」によると、夫から暴行や精神的な攻撃など「ドメスティックバイオレンス」(DV)の被害を受けた女性が33.2%に上った。」「「性的行為を強要された」が15.2%いた。」と報告されています。戦争のない日本でさえこんな状態なんですね。とても悲しくなりました。

内閣府の男女共同参画局ホームページに、「男女間における暴力に関する調査(概要)」(PDFファイル)が掲載されています。

ブログ内関連記事:
「サラエボの花」 (この「グルバビツァ」は、邦題を「サラエボの花」として日本でも公開されました。)

April 14, 2006

トップページが新しくなりました。



「クロアチア語を教えて!」の表紙が、ほんの少しだけ新しくなりました。亀吾郎の写真は変わっていませんが・・・。(^^;)

クロアチアのお金(クーナ編)



クロアチア語くらぶ BBS兼ゲストブック で、dugaさんのお話の中に出てきた「クーナ」(クロアチアのお金の単位のひとつ。クーナという動物の名前から。日本ではテン。)について調べたことを記録しておきます。

下は私の書き込みです。なんか自分の書き込みを引用するのも変ですが念のため。

(Date: 2006/04/14 15:16 No.104)

(前略)クーナについて私も調べてみましたが、日本版ウィキペディアに「中世にテンの毛皮が貿易に使われていたことに由来している」という説明がありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%8A

クロアチア版ウィキペディアでは歴史的な説明が私には見つけられませんでした・・・。ドイツ語版によると、中世にはスラヴォニア地方などにテンがたくさんいたのだとか。
http://de.wikipedia.org/wiki/Kroatische_Kuna

ドイツ語が少しわかる友人がそう教えてくれました。わたしはドイツ語読めません(涙)ので、読解は duga さんにおまかせします!

クロアチアのテンの数は、現代ではそれほど多くはないそうですが、国立公園などには生息しているらしいです。

英語版ウィキペディアの説明では、最初のクーナとして1941年のものが挙げられています。(クロアチアのお金の写真も見られます。)
クロアチアのクーナ(英語版ウィキペディア)

しかし、実際はもっと昔からお金の単位としてクーナが使われていたみたいです。1250年ごろのクーナ硬貨の写真を見つけました。
”Croatian money is called kuna” (Croatia-in-English.com)

上のサイトによると、西暦1000年頃に、クロアチアの Cres や Beli などという町が、クーナの毛皮を年貢としてベニス(ベネチア)の権威者に貢いだのがそもそもの始まりだとか。

duga さんがおっしゃられていたように、クーナという動物は日本では「テン」と呼ばれるそうですので、その写真も見てみます。英語では marten(マーテン、マーティン)というそうですが、日本ではそれを略して「テン」なのでしょうかね?
Yahoo!きっず図鑑 (イタチ科 - テン)

クロアチアの毛皮関連の昔話

クロアチアの人は昔から毛皮の輸出でお金を稼いでいたということを知り、昨年にこのブログでも書きました、クロアチアの狼女の昔話(英語版)を思い出しました。
「クロアチアの狼女」(昨年11月13日の日記)

テンではなくて狼のお話ですが、狼女(または狼少女)が、"Skin down! Skin down!" と言うと自分の毛皮がパっとずり落ちて中から女の人が姿を現します。最初に読んだときは奇妙に思えたこの話も、今読むと「毛皮で生活を成り立たせていた人々が生み出したお話だったんだ~」と、すごく納得出来ます。

April 9, 2006

ドゥブロヴニクの写真



Dubrovnik
はてなの実験的なサービスがおいてあるはてラボに、「はてなわんわんワールド」というのがあります。地図の上を犬になってかけまわるらしいのですが、私にはまだおもしろさがよくわかりません。(チャットとか出来るみたいですけど。)それでもとりあえずクロアチアに犬小屋だけは建ててみました。アドリア海の真珠と言われるドゥブロヴニク(またはドブロブニク、Dubrovnik)です。

上空からみると、本当に貝殻みたいですね。

そして、ドゥブロヴニクの家を見たくなり、不動産屋のサイトに行ってみました。(わんわんワールドとは関係ありません。)
今現在の最初の物件は、「1. HOUSE IN THE OLD CITY -ATTRACTIVE, GREAT LOCATION, FULLY RENOVATED-」というもので、オールドタウンにある家です。いい写真だなぁ。こんな場所に住んでみたい!火事になったら大変かもしれませんが・・・。消防車とかはどうやって来るのでしょうかね。石造りだから、火がまわりにくいのでしょうか。屋根の瓦(?)を近くで見るとこんな感じなんですね。

3番の物件の写真を見てみると、背景に岩石の丘が見えます。衛星写真でみると、本当に樹木のない地面が北のほうにたくさんあります。そういうところはモスタルにも少し似ていますね。バルカン半島のこの辺りは日本とは地質が全然違うようです。日本だったら、木や草で埋まりそう・・・。

「クロアチア語を教えて!」ホームページに登場するイヴァン君も、このドゥブロヴニクに住んでいます(^^)

その他の不動産関連サイト

それぞれの写真をクリックすると、家の内部などが見られます。
ブログ内関連記事:
クロアチアの家
クロアチアの窓

April 8, 2006

スロベニアの evro



昨日の日記「ネレトバ川の汚染事件(3)」の中で、

ユーロのスペルを正式な「euro」にすることを決定 スロベニア (Excite ニュース)

というニュース記事(ロイター)をご紹介しました。

スロベニア共和国議会は木曜日、満場一致で欧州統一通貨のスペルを現在まで使用されてきた「evro」から、正式な「euro」に変更することを決定した。(前後略)

スロベニアではどうして evro だったのか、ちょっと調べてみました。答えは単純明快。スロベニア語で「ヨーロッパ」は、Evropa と綴られるのだそうです。英語では Europe なので euro、それが Evropa なら evro になるのも自然なことですね。

スロベニア語は南スラヴ語系です。同系のクロアチア語やボスニア語やセルビア語ともよく似ています。実際、セルビア語でもヨーロッパは Evropa なので、ユーロのことは evro(エヴロ)と呼んでいるそうです。ただし、セルビア語は公式的にはキリル文字表記ですから、евро と綴られます。もしもセルビアがEUに加盟したら、euro にするのか evro のままでいくのか、注目したいと思います(笑)

クロアチア語を勉強していて気がつくのは、母音が2つ続く事があまり好まれないというか、発音しにくいようなんですよね、それでスロベニアやセルビアでは Evropaになるのではないかなと私は思っています。また、南スラヴ語系の U (ウ)の発音は、日本語のウよりもかなり強くて、口を小さく尖らせてウーと言います。これで試しに、euro (エウロ)と言ってみてください。Rは思いっきり巻き舌(イタリア語のようなR)にして。R の前の U(ウ)の 音が、自然と V(ヴ) に近くなるのが感じられますでしょうか。

さて、クロアチア語ではどうなのかといえば、ヨーロッパは Europa と綴られますから、ユーロも本来の euro (ただし発音はエウロ)です。クロアチアでは、外来語はなるべく外国のままの綴りを保つというのが慣例です。なので、たとえば、ハリー・ポッターはクロアチア語では Harry Potter で、セルビア語では Hari Poter になるという違いが出てきます。(参考:クロアチア語とセルビア語の違いを簡単に見分ける方法!(1))

最後に、ボスニア・ヘルツェゴビナではどうかというと、一般的には クロアチア語と同じように euro (エウロ)です。ただし、セルビア系の地域ではセルビア語が使われるので evro と言われているようです。

April 7, 2006

ネレトバ川の汚染事件 (3)



ネレトバ川の汚染事件(2)の続きです。スロベニアの研究所に依頼した、水や魚の検査結果が出たそうです。ニュース記事はこちら。(クロアチア語)
“PCB u ribi je ispod dozvoljene količine, riba se odmah može pustiti u prodaju” (追記:リンク切れ)

結果は、魚の体内のPCB(ポリ塩化ビフェニル)の量が許容範囲以内なので、ネレトバ川で釣った魚を食べたり売り買いしてもよいそうです。よかったよかった。ただ、PCBの含有量が具体的に示されていないことがちょっと気になる・・・。許容範囲以内とはいえ、もしも危険値スレスレだったりすれば、安心して食べられません。川魚がダメならダメとはっきり知らせてくれれば、クロアチアから海の魚を買ったりも出来るわけです。でも、そんなことを言いはじめたら、ネレトバ川の魚の養殖産業にとってはさらに大打撃になってしまうので、無難なところで「許容範囲以内」としか言わないのかもしれません。うーん、日本の工業地帯や関東地方の海や川のほうがよっぽど汚く見えますし、もしかしたら日本周辺の水や魚もスレスレだったりして!?

スロベニアは、クロアチアと同じ日(1991年6月25日)に旧ユーゴスラビアからの独立を宣言したにもかかわらず、戦争を短く終えることができて(十日間戦争)、長引く戦争で荒廃したクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナよりも経済が発展しているようですね。すでにEUの一員にもなっています。万が一戦争やけんかがおきてしまったら、絶対早く終わらせたほうが世のため人のため。

ところで、スロベニアといえば、先日こんなニュースを目にしました。
ユーロのスペルを正式な「euro」にすることを決定 スロベニア

ロイターによると、

スロベニア共和国議会は木曜日、満場一致で欧州統一通貨のスペルを現在まで使用されてきた「evro」から、正式な「euro」に変更することを決定した。
(中略)
2004年に欧州連合(EU)のメンバーとなった同国は、同時期に加盟した10カ国の中で最も成功した国の1つだ。2007年1月には、「euro」を受け入れた最初の新EU加盟国となる予定だ。

ということだそうです。

その新しいユーロ硬貨のデザインをウィキペディアで見ることが出来ます。
Slovenian euro coins (Wikipedia)

ユーロのコインを初めて見ましたが、どこの国でも星がたくさん散りばめられているんですね。(右側のメニューをクリックすると、ほかのEU諸国のユーロコインの写真が出てきます。)

( --> 翌日の日記 「スロベニアの evro」 に続く)

April 1, 2006

名詞の主格、与格、前置格



相変わらずノロノロと勉強していますが、「クロアチア語を教えて!」ホームページ文法のまとめに、


を追加しました。エイプリルフールじゃなくて、本当です(* ̄ー ̄*)

March 31, 2006

日本の桜がモスタルに



ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに、日本の桜が贈られたというニュースがありました。
「平和願い、ボスニアで桜植樹指導」(東奥日報より)(追記:リンク切れ)
「Japanske trešnje darovane Mostaru」(地元での植樹の様子が写真で見られます。bljesak.infoより)(追記:リンク切れ)

記事によれば、今回は100本の苗木が植樹されました。地元ではモスタルの市会議長さんや、環境保安局の局長さん、福祉局長さんなども集まって、記念式が行われたそうです。日本の美しい桜がモスタルの公園に満開になったら嬉しいです。まだ苗木ということでかなり小さいわけですが、盗まれないかとちょっと心配になってしまうのは私だけでしょうか?!

上記の東奥日報によると、

イピル・イピルの会は同国の平和と民族融和を願い、日本花の会を通して桜の苗木を準備し、〇二年と〇四年に、計九百五十本を寄贈した。桜は首都サラエボ市の公園墓地などに植栽されたが、土壌の問題などから、二百数十本しか生育していないという。

ということです。あのブルース・リーの銅像があるズリニェヴァツ(Zrinjevac)公園の中にも植樹されました。ちなみに、ブルース・リーの銅像は、3月中旬に危うく盗まれそうになり、銅像が土台から少し浮いてしまったので撤去され、現在修理中です。だから、今この公園に行ってもブルース・リーはいません(涙)このことについては、詳細がわかり次第、改めて書きたいと思います。

また、確かに、土壌の違いというのは大きいと思います。これは友人が昨日撮って送ってくれた、モスタルの写真です。

Mostar

この場所は、ズリニェヴァツ公園ではなく、モスタルのそばの山(というか丘)からモスタルを見下ろしたところです。もちろんモスタルでも樹木は育ちますし、木で覆われている場所もたくさんあるのですが、このように岩石の地面が多いのも確かです。今回は樹木のお医者さんも派遣されるということなのできっと大丈夫でしょう。この写真では分かりにくいかもしれませんが、ネレトバ川がモスタルを横切っているのが見えます。

日本にちょっとでも興味がある市民は、このような行事があると興味津々で駆けつけるようです。日本のような遠い外国からもボスニア・ヘルツェゴビナの平和を願っている人々がいることを知ってもらうのはいいことだと私は思います。元気に成長してくれますように。

参考:「イピル・イピルの会」のホームページには、過去の植樹のときの写真(サラエボなど)が載っています。

ブログ内関連記事:
ブルース・リーのヌンチャク、ジプシーの子供たちにとっては金の延べ棒

March 30, 2006

ネレトバ川の汚染事件 (2)



ヘルツェゴビナの水源であるネレトバ川に水力発電所の冷却油が流れ込んだ問題( --> 3月4日の日記「ネレトバ川の汚染事件(1)」)で、ヘルツェゴビナ安全消防局の局長が首都サラエボの新聞に3月22日に語ったところによれば、事態は収拾したそうです。これで、また水道水が使えるようになりました。ただ、これまでの各機関の発表には話の食い違いが多々あったため、いまいち信用できないというか・・・。

事件発覚後、すぐに近くのダムをせき止めたりして、水の浄化作業が進められ、3月10日までには終了したそうです。

その後の新聞記事をざっと要約すると以下の通りです。(記事はそれぞれBljesak.infoから。クロアチア語)

3月17日の新聞記事
  • Electroprivreda (ボスニア・ヘルツェゴビナの電力会社) が水や魚を調べたところ、発がん性物質PCB*1(ポリ塩化ビフェニル)を含む油の含有度は標準値よりも少し高い程度(許容範囲以内)で、50ppm以下なので発がんの危険性はないと繰り返す。

3月18日の新聞記事
  • ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の衛生局が、発がん性物質を含む油の含有度が許容値の2.5倍から4.5倍を示していると発表。(つまり汚染水である。)

3月20日の新聞記事
  • もっと詳しいことが分かるまではネレトバ川で釣りはしたくないという、漁師たちの話

3月22日の新聞記事
  • ヘルツェゴビナ安全消防局の局長が首都サラエボの新聞に語ったところによれば、事態は収拾したということ。水は使っても飲んでもいいし、水力発電所も正常に稼動している。魚を獲ってもいいし食べてもいい。しかし、検査の一部はスロヴェニアの研究所に依頼しており、検査結果はまだ出ていない。

さて、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の衛生局と電力会社の意見がかなり食い違っているのですが、一体どちらを信頼すればいいのでしょうね?

さらに、不可解なのは、ヘルツェゴビナ衛生局(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の衛生局とは別の組織)の発表では、事件直後の2月28日から3月13日までの間の水質検査で、許容範囲以上の油の含有は全く認められなかったということです。それぞれの組織が、自分たちの方法で検査をしているため、違う検査結果が出ているのだと思います。また、水の浄化作業が終了する前に、クロアチアの研究所も検査をしており、その結果では、事件後のネレトバ川の水から、発がん性物質を含む油が高濃度で検出されたということです。これも、ヘルツェゴビナ衛生局の意見と食い違っていますね。

Electroprivredaやヘルツェゴビナ衛生局の発表を信じるとすれば、ネレトバ川は汚染されていなかった(PCBの含有量が許容範囲以内なので)ということになります。また、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の衛生局を信じると、ネレトバ川は汚染されていたけれど、浄化作業が済んだので多分もう大丈夫(検査の一部はまだ結果が出ていませんが)、となります。

ボスニア・ヘルツェゴビナの人たちが、「政府は信用できない。」と言うのをよく聞きますが、なるほど、こういうことなんだ・・・と思いました(-_-;) ボスニア・ヘルツェゴビナに住む友人に、ヘルツェゴビナ安全消防局とヘルツェゴビナ衛生局とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦衛生局のどれを信じるかと聞いてみたら、「どちらも信じない。」と言っていました。ましてや私営に近い電力会社の言い分はさらに信憑性が薄いと。水はミネラル・ウォーターを買って飲んでいるそうです。( --> ネレトバ川の汚染事件(3)へ続く)

*1:参考:PCB(ポリ塩化ビフェニル)について -ウィキペディアより-

March 28, 2006

クロアチア語で「あなたの名前は何ですか」と聞く



クロアチア語くらぶ BBS兼ゲストブックに下のようなご質問をいただきました。 あちらのほうではクロアチア語のフォントが使えないため、こちらのブログでお答えすることにします。

こんにちは。宿題でクロアチア語のあいさつなどを調べています。「あなたの名前はなんですか?」「私の名前は○○です。」をどういうかを教えて下さい。クロアチア語の文字のままと、カタカタでの読み方を教えてください。
Date: 2006/03/27(Mon) No.89

文脈にもよりますが、無難なものとして下記の言い方を挙げておきます。

  • Kako se zovete? (あなたのお名前は何ですか?カコ セ ゾヴェテ?)
    • Zovem se ○○. (私は ○○ といいます。ゾヴェム セ ○○.)

英訳すると、I'm called ○○. という感じです。よく知らない人や、目上の人との会話などで、礼儀正しくしたいときに使えます。

一方、相手が年下や仲間内などで、よそよそしくしたくないときは次のように聞きます。答え方は上と同じです。

  • Kako se zoveš?(君の名前は何ていうの?カコ セ ゾヴェシュ?)
    • Zovem se ○○. (私は ○○ といいます。ゾヴェム セ ○○.)

Kako se zovete? とか Kako se zoveš? と聞かれたら、Zovem se ○○. で答えるのが普通です。自分から名乗るときも、Zovem se ○○. と言えばいいのですが、名前の言い方は他にもあります。

  • Moje ime je ○○. (私の名前は ○○ です。モイェ イメ イェ ○○. My name is ○○.)
    • Ja sam ○○. (私は○○です。ヤー サム ○○. I am ○○.)

Moje ime je ○○. は、手紙などでよく使われる言い方です。また、先日クロアチア語のニュースを聞いていたら、担当者が番組のはじめに Moje ime je ○○. と言って自己紹介していました。

ついでに、「私の名前は○○です。」という言い方にはもうひとつあります。

  • Ime mi je ○○. (私の名前は ○○ です。イメ ミ イェ ○○.)

ただ、これは(私の印象では)少し気取った言い方だと思うので、使う人の好み次第です。ちょっとかっこつけたいときにはいいかも。また、場所によっても違うので、Ime mi je ○○. を普通によく使う地域があるのかもしれません。

「クロアチア語を教えて!」ホームページのほうでは、名前の言い方が「レッスン4 第17日目」に出ています。

March 18, 2006

この新聞記事はちょっとひどい



読売新聞のホームページにこんな記事が・・・。いかにも誤解を生みそうな書き方です。


旧ユーゴスラビア戦犯国際法廷(オランダ・ハーグ)の拘置施設で死去したミロシェビッチ被告(元ユーゴ大統領)の血液検査を行ったオランダ・フローニンゲン大学のドナルド・ユーヘス教授(毒物学)が13日、読売新聞の電話取材に応じ、被告が高血圧などの治療薬の効果を減ずる抗生物質を数か月にわたり服用していたことなどを明らかにした。

と始まっています。しかし、この一問一答形式の記事を読んでみると、この教授が言ったのは「被告が死ぬ2週間前に検査を実施し、通常ハンセン病や結核の治療に使われる抗生物質リファンピシンが検出された。」「自殺は彼自身や支持者たちの利益にならず、被告が自殺を図ったとは思えない。健康状態を自ら悪化させ、家族のいるモスクワへ渡り、戻らずに済むよう薬を摂取していたと解釈する。」などであり、あくまでも推測の域を出ていません。

読売新聞は、この記事の出だしの部分で、ドナルド・ユーヘス教授が「被告が高血圧などの治療薬の効果を減ずる抗生物質を数か月にわたり服用していたことなどを明らかにした。」と書いていますが、そんなことは全然明らかになっていないではありませんか!明らかになったのは、この薬物が検出されたということだけです。それをミロシェビッチ氏が「服用していた」とか「摂取していた」というのはこの教授の「解釈」にすぎません。どのように体内に入ったのかは未だに不明です。

それなのに、記事の題名が「元ユーゴ大統領、治療効果減らす抗生物質を服用」ですよ?せめて「服用か」ぐらいにしてくれればよかったのに・・・。ちょっと読売新聞にがっかりしました。

March 16, 2006

ミロシェビッチという名前を7ヶ国語で聞く



今日は、クロアチアというよりも、外国語の話題です。

デルポンテ首席検事はこう発音する

上は、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷のデルポンテ首席検事が行った記者会見についての記事です。この様子をCNN Internationalで聞きました。("Hague holds news conference" という題名のビデオファイルです。) カーラ・デルポンテさんの声が、なんとハリー・ポッターの映画に出てくるマクゴナガル教授(マギー・スミス)によく似てる(笑)。

デルポンテ首席検事(フランス人)が、英語で記者会見している映像でした。ミロシェビッチという名前は、英語のニュースだと、ミローソヴィッチ(またはミローセヴィッチ)と発音されることが多いのですが、デルポンテさんは英語で話しているにもかかわらずミローゼヴィッチと言うんです。(クロアチア語やセルビア語本来の発音では、ミローシェヴィッチ または ミロシェヴィッチとなります。)フランスではミローゼヴィッチと発音されるのが普通なのかな?と思ってフランスのラジオを聞いてみたら、アナウンサーによってはミロシェヴィッチ(またはミロシェヴィーッチ)と言う人もいれば、ミロゼヴィッチ(またはミロゼヴィーッチ)と言っている人も居て、フランスではどちらでもいいみたいですね。イのほうに軽くアクセントを置く(ロのほうではなく)ようですが。

ただ、デルポンテ首席検事は何度もミロシェビッチ本人に会っているから本来の発音を充分知っているわけで、どちらでもいいなら本来の発音に近いミロシェヴィッチを使えばいいのに、と思ってしまいました。だって、国際法廷の欧米人関係者が英語で記者会見をするときは、英語風なミローソヴィッチではなく、セルビア語風のミローシェヴィッチで発音してくれている人も多いのに。直接面識のない人がラジオやテレビで名前を別の発音で読んでしまったり、発音が難しすぎて言えないような場合は変えてもしょうがないと思います。でも、フランスのアナウンサーだって難なく言えている名前なのに、デルポンテ首席検事は拘置所や裁判所で本人を目の前にしてもミローゼヴィッチと呼んでいたのかな?? と少し驚きました。

ミロシェビッチという名前を7ヶ国語で聞いてみる

さて、ミロシェビッチ氏の遺体が15日セルビア・モンテネグロに到着しました。
欧米のメディアが、ミロシェビッチ氏は一部のセルビア人にとってはヒーローだが、彼の死を心から悼む人の数はセルビアの中でもそれほど多くないだろう、と予測している記事を私は結構多くみかけていました。でも、実際は、私が想像していたのよりもずっと多くの人が空港に駆けつけて泣いていました。その様子を写した映像をユーロニュースのホームページで見てみました。CNN International や BBC でも、ビデオ検索すれば同じような映像が見られます。ただ、ユーロニュースのビデオはもっと軽いから見易いです。

ユーロニュースのホームページは情報量が少ないし、検索も出来ないので、ニュースの情報源としてはあまり使えませんが、言語の勉強にはとっても便利なサイトです。ひとつのニュースが、7ヶ国語(ドイツ語、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ロシア語)で読めます!でも、記事が一日たつと消えます・・・。空港や沿道に集まって感情的に泣いているセルビアの人たちのビデオを7カ国語で見ました。ミロシェビッチという名前の呼び方も7ヶ国語で聞けました。その記事のアドレスをここでご紹介しようと思って今ユーロニュースをチェックしたら、もう記事が消えている!!でも、今日の記事に、新たなミロシェビッチ関連のものを発見。
上記のアドレスに行き(明日にはもうリンク切れだと思いますが・・・)、記事の題名の頭のところにある、Videoという赤いボタンをクリックすると映像が流れます。映像の中でアナウンスされる文章がそのまま記事になっているので、外国語の勉強にすごく便利なんです。とくに、複数の言語を勉強中の皆さんに大のおすすめです!記事の上部にあるメニューで、言語を切り替えることができます。

March 13, 2006

ミロシェビッチ元大統領の死



3月11日に旧ユーゴスラビアのミロシェビッチ元大統領がハーグスヘーフェニンゲン拘置所で急死したことが世界の一大ニュースになっていますね。
自殺か毒殺か心筋梗塞か、と国際法廷のスキャンダルにまで発展しそうな勢いです。さすがに大物戦犯の死とあって、詳しく検死されるようでよかった。ここで私がどうしても気になってしまうのが、ミロシェビッチ元大統領の死の約1週間前に同スヘーフェニンゲン拘置所で自殺したとされているミラン・バビッチ氏なんです。バビッチ氏もちゃんと詳しく検死してもらえたのでしょうかね??当時、クロアチアの主要紙ヴェチェルニ・リストなどが、他殺の可能性を指摘していました。しかし、死体で発見された日の翌日には、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷の公式ホームページで「自殺」と断定して発表されています。(“After conducting an investigation, they confirmed that the cause of death was suicide.”)
バビッチ氏はセルビア人ですし、クロアチア人の多くにとっては憎むべき存在でした。でも、そんなクロアチア人の友人でさえこの発表を見たときには、「え、断定するには早すぎるんじゃない?ちゃんと調べたの?」と思ったそうです。検死をするとそれなりの日数がかかるでしょうに、バビッチ氏の自殺はあまりにも断定が早かったので、まるで国際法廷の内部が何かを揉み消しているような印象を受けたと言っていました。

戦犯の急死が一週間に2回も

上の記事は、「ミラン・バビッチは自分で首を吊ったのか、それとも殺されたのか?」というような見出しがついています。これによると、バビッチ氏は自分を含めセルビアの政治家や軍人が戦争中に犯した罪を告白し謝罪したため、セルビアでは史上最悪の裏切り者の一人とみなされているそうです。

拘置所では、バビッチ氏の身を守るためほかの収容者から隔離し、ビデオレコーダーもない場所で、看守が30分おきに見回っていました。午後6時の見回りの時は特別変わった様子もなかったのですが、6時半の見回りのときに、首を吊って死んでいるのが発見されました。バビッチ氏は、旧ユーゴスラビアの諜報機関に属していた高官などについて、国際法廷で証言する予定になっていたので、スパイにより自殺に見せかけて殺害された可能性が無きにしもあらず・・・だそうです。判事の一人が、詳しい死因に関してさらなる調査を申し立てたということですが、一体どうなったのでしょうか。気になります。

このときの他殺説は国際的には話題にならず、自殺としてあっさり片付いていたように見えました。また、誰かから脅かされて(家族を守るために)自殺するしかなかったのではないかという説もありました。その6日後、ミロシェビッチ氏が同拘置所内で急死し、今度は本当に自殺から他殺まで、いろいろな説が世界のニュースになっています。毒物使用に関する2次検査の結果が数日内に出るということです。真相がどうであれ、クロアチアでもセルビアでも、国際戦犯法廷に対する不信がますます強くなっているのは確かです。

ブログ内関連記事:
ミラン・バビッチ氏の自殺
故ミロシェビッチ元大統領の手紙
日本から寄贈されたバス

March 11, 2006

イースターカードの決まり文句



イースターカードの定番フレーズについて読者の方から質問をいただきましたので、ここに載せることにします。今年のイースターは4月16日だそうです。日本はキリスト教国家ではないので、イースターはあまりなじみがありませんね。イースターについての詳細は、ウィキペディアで読むことが出来ます。--> 「復活祭(イースター)

(追記)イースターカードでよく使われるフレーズは、ホームページに移動しました。

移動先はこちらです→ http://www.croatian101.com/chapters/c4/easter.html

無料の電子イースターカード

http://www.index.hr/servisi/razglednice/uskrs_2_1.aspx

    • Ime primatelja: 受取人の名前
    • E-mail adresa primatelja: 受取人のEメールアドレス
    • Ime pošiljatelja: 差出人の名前
    • E-mail adresa pošiljatelja: 差出人のEメールアドレス
    • Tekst poruke: メッセージ
    • Odustani: キャンセル
    • Pošalji e-card: Eカードを送る
    • 送信後に Razglednica je poslana.という表示が出たら、送信成功です。

ブログ内関連記事:
クロアチアのイースター(その1)

March 10, 2006

日本から寄贈されたバス



先日、Exciteの世界びっくりニュースにこんな記事が出ていました。
オランダからのバス寄付にセルビア急進党員が憤慨 (追記:リンク切れ)

元の記事はロイター。(英語)
Send Dutch bus back, say Serb nationalists

セルビアの極右政党メンバーが、オランダから寄贈されたバスを返還するよう地方政府に要求している。

バスはオランダからセルビア南東部の街ピロトに寄贈されたが、セルビア急進党のメンバーが、これは侮辱だと述べている。現在、セルビア急進党のボイスラフ・シェシェリ党首がオランダの国際戦犯法廷で拘束されているからだ。

「こんなゴミをよこそうと思いつくこと自体が間違っている」と、 セルビア急進党地方支部リーダーのボバン・ボジノビッチは言う。「セルビア急進党は我らの最も勇敢で偉大な党首を拘束している人々からのほどこしは受けたくない」

しかしミラン・ポポビッチ市長は、ピロトにはバスが必要であり、寄贈品を返すことはできないと述べた。複数の西欧諸国が90年代のバルカン戦争の傷手から立ち直ろうとしているセルビアの街にバスを寄贈している。(以下略)

国際法廷で起こっていることはオランダのハーグの一般市民には何の責任もないわけで、そこに怒りを向けるのはやっぱり変な話というか、まさに「びっくりニュース」です。そんなことよりも、私にとって興味深かったのはミラン・ポポビッチ市長の下の発言です。

ポポビッチ市長は、「国民が外国で裁きを受けることがあってはならないし、現在スヘーフェニンゲンの法廷拘置所で起こっていることに反対する」と同意を示したうえで、「だからといって助けを受けたり協力したりしてはいけないというわけではない」と述べた。

「国民が外国で裁きを受けることがあってはならない」とか、「国際戦犯法廷はあてにならないから信用出来ない」という意見は、クロアチアのアンテ・ゴトヴィナ(アンテ・ゴトビナ)元将軍がハーグの国際戦犯法廷に拘束されたときも、クロアチアでよく聞かれました。また、先日急死した戦犯のミラン・バビッチ氏も、このスヘーフェニンゲンの法廷拘置所で死体で見つかっており、自殺と報道されていますが、ヴェチェルニ・リスト紙を含む一部のメディアでは他殺の可能性も指摘されています。(それについてはまた別の機会に書きますね。)私は、セルビア側の意見は今までよく知らなかったので、このポポビッチ市長の発言を目にしたとき、セルビアの人も国際法廷に関してはクロアチア人と同じように感じているんだなぁ、と思いました。

日本から寄贈されたモスタルのバス

さて、この記事でもうひとつ思い出したのが、日本から寄贈されたモスタルのバスです。そうです、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルで、2001年に日本からプレゼントされた40台の黄色いバスが元気に走っているんです!(実際にバスが渡されたのは2002年。)その乗り心地を現地の友人(クロアチア人)に聞いてみました。

まず、返ってきたのは、「日本のバスは小さい!」「エアコンがないから夏は猛烈に暑い!」ということでした・・・。日本人は体が小さいから日本のバスは小さいんだろう、と思っていたそうです。でも、よく調べてみたら、小さいのにはちゃんとしたわけがありました。これは日本から来たバスではなく、ドイツ製の新しいバスだったんです。モスタル周辺の細い山道でも運行できるように、日本政府がわざわざ小さいバスを選んだのだそうです。また、老人や体の不自由な人々のために、敢えて床の低い車体が選ばれました。日本政府は単に7億6千9百万円というお金をポンと渡しただけではなく、いろいろ考えてバスを選択し、メンテナンスの道具や替えのパーツまで調達していたんですね。こういうことを昨日初めて知った友人は、日本政府の思慮深さにとても感心していました!とくに、戦争で負傷して体が不自由になった市民もたくさんいるので、そういう理由で低い車体が選ばれたことに感銘を受けていました。

日本から贈られたモスタルのバスに関する詳細は、下のサイトで見られます。バスの写真もあります。
Restoring Mostar City transportation by procuring new buses (追記:リンク切れ)

バスはドイツの MAN製で、車体の形はだいたいこの Lion’s Classic というタイプに近いそうです。(モスタルのバスは黄色ですが。)下のサイトに行き、左のメニューで Passenger cabin というのをクリックすると、客席の写真などが見られます。色違いですが、だいたいこんな感じだそうです。
Lion’s Classic (追記:リンク切れ)

モスタルに通勤している友人は、この日本のバスによく乗ります。時間帯やルートによっては、日本のバス以外も走っています。日本のより車体が大きくてゆったりできるものの、30年ぐらい昔のおんボロのバスなので、もう表示も何も全部消えてしまっているような車体だそうです。それにしても、なぜ日本はエアコンのついたバスを選んであげなかったんでしょうかね?!夏は車内が40度C近くになってしまいます。通勤で片道一時間もそのバスに乗っていたら、ヘトヘトだそうです。それとも、たまたまそのバスだけエアコンが壊れてしまったのでしょうか??でも冬は車内に暖房がよく効いて快適だと言っていました。

日本のバスの写真。モスタル市街。




側面(窓の下)にこう書かれています。

COOPERATION
JAPAN
FOR
BOSNIA
AND
HERZEGOVINA
2002

March 7, 2006

ミラン・バビッチ氏の自殺



あの幻の国クライナ・セルビア人共和国の初代大統領だったミラン・バビッチ氏が5日の午後、自殺したという報道がありました。ご冥福をお祈りします。

ハーグ旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で有罪を認め、国外(場所は明らかにされていない)で服役していましたが、ミラン・マルティッチ氏に対する戦犯法廷で証言するため、先月からハーグに戻されていました。バビッチ氏自身の裁判はもう終わっていて、懲役13年が下されています。しかし、旧ユーゴスラビアの戦争犯罪の内幕を知る最重要人物の一人として、他の戦犯の裁判で証言することも多く、この生き証人がいなくなったということは、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷にとっても非常に大きな痛手です。

とくに最近のニュースでは、セルビア系のラトコ・ムラディッチ (Ratko Mladić)元将軍がセルビアでついに発見されたという報道もあり(投降を促している最中だという)、また、クロアチアのアンテ・ゴトヴィナ元将軍も去年逮捕されましたし、逃亡中の戦犯被告人が続々と見つかっているような状況の中での自殺。戦後、自分が戦争中に犯した過ちを恥じ、自責の念にかられると話していたそうです。ぜひともがんばって生き延びて、裁判に協力してほしかった・・・。

実際、ミラン・バビッチ氏は、数いる戦犯の中でも、捜査にすごく協力的だった人です。旧ユーゴスラビアのミロシェヴィッチ前大統領に対する戦犯法廷でも積極的に証言し、ミロシェヴィッチ氏の行動と嘘を非難しました。また、クロアチア領内に発生したクライナ・セルビア人共和国の建国には、ミロシェヴィッチ氏が大きく関わっていたことを認めました。しかし、その正直さのせいでセルビア人からは裏切り者呼ばわりされ、クロアチア人やムスリム人からは戦争のことで恨まれ、もう何も失うものがないところまで来てしまっていたのかもしれません。

旧ユーゴの戦争犯罪人で、戦争中の過ちを振り返り深く謝罪したバビッチ氏のような人は今のところ珍しいです。クライナ・セルビア人共和国が出来た1991年頃、バビッチ氏は年齢にして30代半ば。そんな若さで一国(国とは言っても自称でしたが)の大統領に選ばれたんですね。先月50歳になったばかりでした。一部では、誰かに脅かされて家族や何かを守るために自殺せざるを得なかったという憶測も流れています。真相は分かりません。

旧ユーゴスラビアの戦争犯罪では、一体誰に責任があったのか、いま誰が真実を言っていて誰が嘘の証言をしているのか、未だに解明されていない部分が多いです。証拠隠滅工作もたくさん行われているので、記録が消されてしまえば罪が立証できません。(参考:証拠隠滅工作の例)戦争を始めた悪者達がうまく逃げて、お国のために戦った者が捕らえられて罰せられている・・・。という印象を持つ人々も現地には多いそうです。

先月なども、ボスニア・ヘルツェゴビナがセルビア・モンテネグロに対して戦争の賠償を求めて訴えを起こしたというニュースがありました。本当は13年前の1993年3月に、ボスニア・ヘルツェゴビナが旧ユーゴスラビアに対して同様の訴えを起こしていますが、旧ユーゴの残存が現セルビア・モンテネグロなので、そこを訴えています。13年もたって、やっと裁判にこぎつけるって、なんとまぁ遅い・・・。こういうところからも国連への不信感が増してくるのでしょう。ボスニア・ヘルツェゴビナ側から見れば、旧ユーゴスラビアのセルビア人がクロアチア人とボシュニャク人(ムスリム)を迫害して追い出そうとしたことが、国連の国際司法裁判所でやっと裁かれる、ということのようです。詳細は下の記事で。(英語)

Serbia Faces Trial for Bosnia Genocide - After years of delays, an international court will finally decide whether the Serbian state is guilty of this grave crime - (Balkan Insightより。)

www.balkaninsight.com/en/article/serbia-faces...

人々の心の中の戦争はまだまだ続きますね・・・。

ブログ内関連記事:
アンテ・ゴトヴィナはなぜクロアチアでは英雄なのか?(1)
ミロシェビッチ元大統領の死

March 5, 2006

世界遺産の石橋、スタリ・モストのウェブカメラ



ネレトバ川の話題(3月4日の日記参照)が出たところで、この川をまたぐ世界遺産の石橋「スタリ・モスト」のウェブカメラの設定が変わったことをお知らせしておきます。昨年の8月6日の日記に書いたときよりも、画面の自動更新間隔がちょっと遅くなったような気がします。アドレスも変わりました。

新しいアドレスはここです。
http://www.starimost.telecom.ba/index.php?id=402 (追記:リンク切れ)

7つのカメラが設置されています。上のアドレスへ行き、見たい眺めをクリックしてください。
  • Stari most - pogled sa Mesdžida
    • スタリ・モスト - Mesdžidaからの眺め(おそらく塔のひとつ)
  • Stari most - pogled sa Austrijske kuće
    • スタリ・モスト -「オーストリアの家」という建物からの眺め
  • Stari most - pogled iz Ramića sokaka
    • スタリ・モスト - ラミッチ通りからの眺め
  • Stari most - pogled sa kule Halebije
    • スタリ・モスト - ハレビヤ塔からの眺め
  • Stari most - Kujundžiluk
    • スタリ・モスト - クユンジルック
  • Stari grad
    • オールドタウン(モスタルの中の、Stari grad という地域)
  • Ulica braće Fejića
    • フェイッチ兄弟通り

語句意味
pogled眺め
sokak狭い通り(トルコ語から)
ulica通り
sa・・・の上から
iz・・・の中から(この場合、通りをひとつのエリアと考え、通りの「中」から)

写真(外部サイト)

インターネットで見かけた、スタリ・モストの写真の数々。こういう場所を自分の目で見てみたい!写真を見ていて、とっても行きたくなりました。

March 4, 2006

ネレトバ川の汚染事件 (1)



3月1日の日記に、はてなの注目キーワードの6位にボスニア・ヘルツェゴビナが登場したのは何か大事件が起こったせいとかではなくてホッとしたという話を書いていたちょうどその頃、なんと本当に事件が起きていました・・。2月26日(日曜日)、ヘルツェゴビナのヤブラニツァ (サラエボから南西に約80km)という場所にある水力発電所の冷却油が漏れ、相当な量の油がネレトバ川に流れ込んでしまいました。この川はヘルツェゴビナの大切な水源です。詳しいことはまだ分かっていませんが、最悪の場合、18トンものオイルが漏れた可能性があります。また、つい最近の成分分析の結果では、その油に発がん性物質が含まれていることがわかり、地元では大変な騒ぎだそうです。さらに悪いことには、この事件の情報伝達が遅れたため、大勢の人々が知らないで汚染された水道水を使っていました。私の友人が住んでいる場所では、独立記念日(3月1日)の夜になってこの事件が大々的にニュースで報道されました。急なことだったので、せっかく作った夕食も全部捨てなくてはいけないし、お風呂にも入れないし、おめでたい独立記念日だというのにてんやわんやだったそうです。

ネレトバ川は、あのモスタルの世界遺産の橋「スタリ・モスト」がかかっている川でもあります。クロアチアに流れ出るので、クロアチアにも水の注意報が出ています。人体や自然に対する影響が心配されます。(--> ネレトバ川の汚染事件(2)に続く)

リンク:この事件に関する新聞記事(英語)
COOLING OIL LEAKS INTO THE NERETVA NEAR JABLANICA (追記:リンク切れ)

ネレトバ川の地図

下をクリックすると地図が見られます。
Jablanica(ヤブラニツァ)やモスタルを通り、クロアチアに流れ出ているのがネレトバ川です。川沿いを走る道路に印をつけました。 

March 1, 2006

クロアチアのネクタイの記念切手



クロアチアがネクタイ発祥の地という話は最近有名になってきたように思います。1995年のクロアチアの記念切手にも、こんなものがありました。ネクタイの切手3種です。ネクタイの歴史についても書いてあります。(英語)

1630年のクロアチア兵のネクタイ
1810年の英国イングランド人のネクタイ
1995年のビジネスマンのネクタイ

www.posta.hr/default.aspx?id=3622&m=128

切手を見ると、昔のものはネクタイというよりもネッカチーフというかスカーフみたいじゃありませんか?私は「ネクタイ」と聞くと、現代のビジネスマンが身につけるようなものを思ってしまうのですが、英語では necktie。つまり、首に巻く布なら何でもネクタイと呼んでいいみたいですね。

ちなみに、necktieをMerriam-Webster の辞書で引くと、定義は下のようになっています。

a narrow length of material worn about the neck and tied in front; especially : FOUR-IN-HAND

www.merriam-webster.com/dictionary/necktie

現代のビジネスマンが身につけるようなものは necktie の一種で(英語では four-in-hand などと呼ばれる)イギリスのイングランドで始まったそうです。ウィキペディアによると、蝶ネクタイもイギリスで始まったそうですし、ネクタイとイギリスは深い関係がありそうです。それで、2番目の切手がイングランド人のネクタイなんでしょうね。(参考:ウィキペディア-ネクタイ

ネクタイの歴史は、クロアチアのネクタイブランド「CROATA」のホームページでも読むことが出来ます。(英語)
http://www.croata.hr/homeland/index.php (追記:リンク切れ)

「クロアチア人」というのは、クロアチア語で Hrvat (フルヴァット)といいます。これが17世紀のフランス語に「ネクタイ」の意味で取り入れらた時に cravate (クラヴァット:フランス語でネクタイのこと)に変わったというのが通説です。先述のクロアチアの切手のホームページでは、おそらくドイツ語の影響を受けたせいだろうと説明されています。フランス語だと h を発音しないので、フランス人にとって Hrvat はとても発音しにくいだろうと思います。私の想像では、フランス人が単に Hrvat を発音できなくて、cravate というふうにしか言えなかったのではないかなと思うんですが(^^;) ちなみに、クロアチア語でネクタイは kravata (複数形は kravate)といいます。

そういえば、映画「ピンクパンサー」のリメイク版が最近欧米で公開されましたね。その中で、強烈なフランス語なまりで話す主人公のクルーゾー警部(スティーブ・マーティン)が、どうしても英語の「ハンバーガー(hamburger)」という発音が出来なくて(h の発音が出来なくて)トラブルに巻き込まれるというシーンがあるそうです。下記の英語版のホームページに行って劇場予告編を見ると、その様子が少し出てきます。クルーゾー警部がアメリカに出張することになったので、完璧な米語の発音を身につけようと思い、発音の専門家を雇って英語の練習をするのだけど、"I would like to buy a hamburger." を何度練習してもどうしてもいえないという場面が見られます(笑)日本公開が楽しみ。

映画「ピンクパンサー」の公式ホームページ:
www.sonypictures.com/movies/thepinkpanther/ (英語)(追記:リンク切れ)
www.foxjapan.com/movies/pinkpanther/ (日本語)(追記:リンク切れ)

独立記念日おめでとう!



いま、はてなのトップページ http://www.hatena.ne.jp/ へ行ったら、「注目のキーワード」の6位が「ボスニア・ヘルツェゴビナ」でした。何か大事件でも起きたのかと思いきや、サッカー関連のせいだということが判明しました。スポーツでよかった・・・。
ところで、今日、3月1日は、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦*1の「Dan nezavisnosti」という祭日、つまり独立記念日なんです。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦内の会社や学校の多くがお休みですが、外国系の企業(クロアチア系も含む)は祭日扱いにはしないので、そういうところで働いている人たちはいつもどおりに仕事をするそうです。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、1992年の3月1日に、旧ユーゴスラビアから独立しました。独立記念日おめでとう!

語句

Dan nezavisnosti Bosne i Hercegovine
dan = 日 day 
nezavisnosti = 独立の of independence 
Bosne = ボスニアの of Bosnia 
i = と and 
Hercegovine = ヘルツェゴビナの of Herzegovina

文法的に見れば、「ボスニアとヘルツェゴビナの独立の日」ということで、生格(「・・・の, of...」)が3つも続いています。

*1:ボスニア・ヘルツェゴビナという国の中のスルプスカ共和国を除いた部分

February 28, 2006

ウサ之助の俳句




このところずっとトリノオリンピックに熱中していて、クロアチアのコステリッチ兄妹のメダルなどについて書いていたところ、ブログペットのウサ之助*1が珍しくまともな俳句を詠みました。

『この日記 驚きました メダルなり』

まさしくその通り!日本も最後にやっと一個だけメダルが取れて、しかもフィギュア・スケートで金だなんて、本当に驚きました。忘れられないオリンピックになりそうです。

*1:ウサ之助はこのブログの中で覚えた言葉をいろいろつぶやきます。

名詞の造格



「クロアチア語を教えて!」ホームページ文法のまとめに、名詞の造格を追加しました。

February 25, 2006

名詞の格変化(生格、対格、呼格)



文法のまとめに、以下のページを加えました。
名詞の格変化
名詞の生格
名詞の対格
名詞の呼格

クロアチア語の呼格について



「クロアチア語を教えて!」に、文法のまとめ:名詞の呼格を追加しました。人の名前を呼ぶときも呼格が使われます。しかし、地域によって変化のしかたが違うみたいなんですよね・・・。例えば、Mara さんという女性を呼ぶとき、英語だったらそのまま Mara! と呼びかけますよね?クロアチア語ではそれを呼格に直さなければいけません。語尾を少し変えるだけですが、Maro! と言う地域もあれば、Mare! となる地域もあるのだそうです。

クロアチアの女性のファーストネームは a で終わるものが多く、普通の名詞でも a で終わるものはほとんどが女性名詞となります。基本的に、a で終わる女性名詞を呼格に変える時は語尾を o に変えますから、文法的な理屈から言えば Maro! と呼びかけるのが普通です。

一方、子音(a i u e o 以外)で終わる男性名を呼格に変えるには、語尾に e をつけます。例えば、Igor(イゴル)さんを呼ぶときは、Igore!(イゴレ!)と言います。おそらくこれが混同して、女性名でも(本来の o ではなくて)e にする地域があるのかな、と思います。

複数のクロアチア人に聞いてみたところ、意見がバラバラなんです(^^;)

ヘルツェゴビナ(ボスニア・ヘルツェゴビナの南部)・・・Mare!

ボスニア(ボスニア・ヘルツェゴビナの北部)・・・ Maro!

ダルマツィヤ(クロアチアのアドリア海沿岸部)・・・ Mare!

という結果でした。また、人によっても違うそうです。例えば、ボスニアに住んでいる Mara さんが、現地で普段は Maro! と呼ばれているとします。でも、Mara さんの両親がクロアチアのダルマツィヤ地方の出身だったら、子供を Mare! と呼んだりするわけです。Mara さんの友達はいつもそれを耳にするので、 Maro ではなく Mare! と呼び始めます。

また、名前それぞれによっても違います。ja や na で終わる名前は、そのままの名前で呼ばれることが一般的なので、Lucija さんは Lucija! のままですが、地域によっては Lucijo! と呼びます。Lucije! にはなりません。

母音で終わる男性名はそのままで、Ivo さんは Ivo! と呼ばれるのが普通ですが、ダルマツィヤ地方では Ive! になるそうですし・・・このほか、例を挙げればキリがないくらい続々出てきます。

というわけで、ホームページには基本的な形を載せましたが、人や地域によっていろいろ違うということをお知らせしておきます。

ブログ内関連記事:クロアチア語には標準語がない?!

February 21, 2006

ヤニツァ・コステリッチ選手が今度は銀メダルを獲得!



トリノオリンピックでヤニツァ・コステリッチ選手が、先日の金に続き、銀メダルを獲得しました。15日の滑降を体調不良のために欠場し、18日には女子複合で金メダルを取ったものの、19日に予定されていたスーパー大回転には出ないと発表していました。それが悪天候で20日に順延されたため、ヤニツァ選手は出場を決め、銀メダルを獲得。インフルエンザの病み上がりだそうです。

ヤニツァさんは、最後に出場したドルフマイスター選手(オーストリア)の滑りを見守っていましたが、ドルフマイスター選手のタイムが自分より上だとわかるやいなや大きな拍手を送り、駆け寄って抱擁で祝福しました。ドルフマイスター選手は自分が一位になったことが分かっていなかったらしく、ヤニツァさんに言われて初めて気づいたようでした。お互いを祝福する二人の様子がすがすがしくて、素敵な終わり方でした。自分が負けると相手に冷たい視線を送るだけだったり、拍手もしないしニコリともしない人だってたくさんいるなかで、ヤニツァさん達のようにすがすがしくライバルを祝福する光景は、とても気持ちがいいものですね。こういうのを見るとますますオリンピックが好きになります。

ドルフマイスター選手は、ヤニツァさんが欠場した15日の滑降で金メダルを取り、来月で引退することが決まっているそうです。二人ともおめでとう!

余談ですが、この試合を見る前に偶然 ZAKZAK で山本譲二さんのインタビューを目にしました。下は、昨年の大みそかの紅白歌合戦に出られなくて悔しい思いをしたことについてです。

事務所の後輩、北山たけしが初出場。オヤジ(北島三郎)は常々、「歌手はな、ステージでは年上であっても年下であってもライバルなんだ。だが、相手にいいことがあったら真っ先に祝いなさい」と。(以下略)
(ひとりごと・山本譲二 ZAKZAKより)
http://www.zakzak.co.jp/hitorigoto/20060210.html

ヤニツァさんは演歌の心に通じるものがあるかも(笑)。

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オリンピックの公式ウォーター「ヤムニツァ」
銀メダルおめでとう、イヴィツァ・コステリッチ選手!
妹のヤニツァ・コステリッチ選手は金メダル!

February 19, 2006

妹のヤニツァ・コステリッチ選手は金メダル!



18日のトリノオリンピック女子アルペンスキー複合で、ヤニツァ・コステリッチ選手が期待通りの金メダルを獲得しました。兄妹そろってクロアチアにメダルをもたらすとは、すごい家族ですね。おねでとうございます!

コステリッチ兄妹が、アメリカのTV局に個別インタビューを受けているのを見ましたが、二人とも英語がペラペラで、びっくりしました。クロアチア語なまりも強くなくて。私が知っているクロアチア人の皆さんは、誰もこんなに上手に英語が話せません!二人にスキーを教えたアンテお父さんは、英語ではなくクロアチア語でインタビューに答えていましたので、どうやら家族全員が英語ペラペラというわけではなさそうです。

お兄さんのイヴィツァさんは「抜群の集中力を誇る妹と違い、ナイーブで重圧に弱い面がある。」*1と読んだので、どんな人かと思ってそのインタビューを見たら、本当に気の良さそうなお兄さんでした。でも、子供の頃は妹を叩いたりしていたこともあり、そのうちにヤニツァさんがお兄さんを叩き返すようになって強くなり、近所でけんかに一番強い女ガキ大将みたいになったと、お兄さんが言っていました(笑)

一方、ヤニツァさんのほうは自分の成功について聞かれ、「うーん・・・」と考え込んだあと、「自分のことについてはあまり話したくないの。そういうことは他の人にまかせる。」そしてさらに、 "I think it's stupid to judge yourself." とキッパリ。なんと凛々しいんでしょう!ちょうど髪の毛をおさげに結んでいて、まるで、「天空の城ラピュタ」のドーラさんみたいな感じで、しかも強気な話し振りまで似てる (^^;)嫌いなものは嫌い、ばからしい、とはっきり言う人ですね。20歳の頃(今は24歳)、道に「ヤニツァ通り」という名前をつける案があったそうで、まだ若くて現役なのに通りの名前にするなんてバカげてる!と言っていました。(結局実現されずに終わって本人は喜んでいます。)

金メダルを取った直後に感想を聞かれて、「兄のメダルのほうが自分のよりももっと嬉しい。兄の一個目だし、怪我や手術を乗越えて大変な努力をしてきたから。」そういうヤニツァさん自身も体調が悪くて15日の滑降の出場をとりやめたぐらいなのに!*2この日も熱があって、直前まで出場するかしないか迷っているような状態。そんな体でみんなの期待通りに金を取ってくるところがもう本当にクロアチアのヒロイン、というか、私のなかではもうあの勇ましいドーラさんなんです(笑)

そのヤニツァ・コステリッチ選手の、カレンダー付き壁紙を大塚製薬のホームページでダウンロードすることが出来ます。サイズは1024×768、800×600の2サイズ。http://www.otsuka-plus1.com/ (追記:リンク切れ) へ行き、左メニューの「コンテンツ」のなかの「壁紙カレンダー ダウンロード」というところをクリックします。

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オリンピックの公式ウォーター「ヤムニツァ」
銀メダルおめでとう、イヴィツァ・コステリッチ選手!
ヤニツァ・コステリッチ選手が今度は銀メダルを獲得!
クロアチアの子供は英語を話せる?

*1「コステリッツ兄、初メダルに涙=妹ヤニツァと抱擁-男子複合〔五輪アルペン〕」Gooスポーツより (追記:リンク切れ)
*2:11回の膝の手術、さらにGraves' disease(いわゆるバセドウ病ですかね?)を患っている。インフルエンザの病み上がりでもある。

February 18, 2006

オリンピックの公式ウォーター「ヤムニツァ」



クロアチア語くらぶ BBS兼ゲストブック(No.75)で duga さんに教えていただいた Jamnica について調べてみました。この Jamnica というクロアチアの会社のホームページがすっきりしていて綺麗です。さすが水を売るとあって、清涼感が漂います。
http://www.jamnica.hr/
(追記 2012/11/01:デザインが変わってしまったので、あの清涼感漂うホームページはもう見られません。)

この会社が販売している Jamnica という名前のミネラル・ウォーターは、オリンピックの公式ウォーターとしてクロアチアのチームを支えています。1996年から現在まで、ヤニツァとイヴィツァのコステリッチ兄妹のスポンサーにもなっています。最初のボトル入り Jamnica が作られたのが1828年ということなので、伝統のある水なんですね。

おそらくヤニツァ・コステリッチ選手の名前にちなんでだと思われますが、Jana という名称のボトル入り自然水もあります。Jana(ヤナ)は、Janica (ヤニツァ)というクロアチア名の一般的な愛称だそうです。

ところで、朝日新聞インターネット版にこんな写真が出ていました。
「アルペン男子複合で2位になったクロアチアのヤニツァ・コステリッツ(右)=14日、ロイター」 (追記:リンク切れ)

この写真に写っているのはヤニツァさんじゃなくて、イヴィツァさんです!配信したロイターが間違えたのか、それをそのまま載せた朝日新聞インターネット版が悪いのか、どちらのせいかわかりませんが、いつ直してくれるのかな・・・。せっかくイヴィツァ選手が初メダルを取ったのに、こんなところでまた妹さんの日陰になっています。

コステリッチ?それともコステリッツ?

日本の新聞ではコステリッツと表記されていることが多いですね。しかし、クロアチア語では Kostelić ですから、本来ならばコステリッチになるはずなんですが。だって、前ユーゴスラビア大統領のミロシェヴィッチ (Milošević) にしろ、クロアチアのメシッチ大統領 (Mesić) にしろ、ićで終わる名前は日本の新聞だって「ッチ」って表記しています。実際の発音も、コステリッチに近いです。なぜ Kostelić だけ「ツ」なんでしょうか?でも、いまさら変えても検索するときに支障が出るでしょうから、きっとこのままコステリッツと呼ばれるんでしょうね、日本では。

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February 15, 2006

銀メダルおめでとう、イヴィツァ・コステリッチ選手!



トリノオリンピックでクロアチアが一個目のメダルを獲得しましたね!14日のアルペンスキー男子複合で、イヴィツァ・コステリッチ(Ivica Kostelić)選手が2位になりました。これまではどちらかというと妹のヤニツァさんの輝かしい業績の影になりがちで、また、度重なる膝の手術で歩くのさえ困難な時期が多く、メダルは多分無理とみられていただけに、銀メダル獲得とは驚きました。Čestitam na srebrnoj medalji! (銀メダルおめでとう!)

  • イヴィツァ・コステリッチ選手の公式ホームページ(クロアチア語、英語)
  • 妹のヤニツァ・コステリッチ選手の公式ホームページ(クロアチア語、英語)

もうひとつ驚いたのは、数日前のフィギュアスケート・ペアで、2位から4位までを中国組が占めたこと。このこと自体素晴らしいと思いますが、もっとすごいのはこの3組を育てた、コーチのヤオ・ビン(ビン・ヤオ)さんです。
約25年前、初めての中国代表としてペア・フィギュアスケートの世界大会に出場し、あまりのひどさに世界の笑い者になりました。*1当時フィギュアスケートを教えられる人が中国には誰も居ず、自分たちで写真を見て研究したものの、世界大会に出るたびに最下位。これだけだと本当に情けない話で終わってしまいます。ところがその後、選手を育てる側にまわり、25年たった今は世界もうらやむ名コーチ。オリンピックはこういう話が出てくるから面白いですね!諦めない人々の努力がとても美しいと思います。

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ヤニツァ・コステリッチ選手が今度は銀メダルを獲得!

*1:詳しくは Wikipedia に出ています。英語。http://en.wikipedia.org/wiki/Yao_Bin

February 13, 2006

トリノオリンピックの記念切手



下のリンク先は、クロアチアで発行された、トリノオリンピックの記念切手です。(クリックするとクロアチアの郵便局のホームページにとびます)

http://www.posta.hr/default.aspx?id=3622&pojam=torino&m=1098 

切手に Zimske olimpijske igre - Torino 2006. と書かれているのは、Winter Olympic Games - Torino 2006 という意味です。上記サイトで、Show full size というところをクリックすると拡大されます。

Torino 2006.

トリノ五輪が始まってまだ3日しかたっていないので当然ともいえるかもしれませんが、今のところ日本にはメダルがありませんね。前回の冬季オリンピックの時もメダルの数が少なかったように記憶しています。こうなると、私の心の中では「たぶん日本は3位以内には入らないだろう」という覚悟でTVを見るため、変な期待を持たないで済むというか、結構こういう観戦の仕方もいいもんだ、と思ったりしています。

日本の選手がメダル争いの圏内に入っていると、どうしても他の国の選手に対して「(日本の)OO選手を抜かさないでよね!」とか、「この選手が失敗すれば日本の選手に有利になる・・・。」というふうにマイナスの気持ちが入りこんでしまう。最初から何も期待しないと、各国の選手の素晴らしい活躍を色眼鏡なしで応援できます。そして、もしも日本の選手がメダルを取ったら、期待以上のことなので喜びもひとしお(^^)旧ユーゴスラビアの戦争のことを読んだり聞いたりしたあとでオリンピックを見ると特に、世界中の人たちが集まりスポーツで競い合うのがとても健全なことのように思えて、それだけでもう嬉しい。あとは、不公平な判定ミスや不正が起こらないように祈るばかりです。

関連語句

The Winter Olympic Games in Torino という英語をクロアチア語に直すときは、Zimske olimpijske igre u Torinu になります。(Torino ではなく Torinu になることに注意。)その理由については、「クロアチア語を教えて!」ホームページのレッスン3第14日目をご参照ください。ちなみにトリノは、現地のイタリア語では Torino , 英語では Turin という表記になります。

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February 12, 2006

「君だけが」



昨年の12月10日の日記に、クロアチアのチョコレート “Samo ti(君だけが)” の写真を載せましたが、あの時は「君だけが」の意味がピンと来なくて、「君だけが食べていいよ」ってことなのかな??なんて思っていました(^^;) 

"Samo ti" は 「君だけが」という意味で、本当にいろいろ自由に解釈できるとはいえ、今回バレンタインについて調べるうちに、バレンタインカードの決まり文句にも多用されることを知りました。Only you are in my heart. とか、Only you are for me. ということなんですね。日本語で愛情を示す場合、「君だけを」とか「君だけに」のほうが分かりやすいために、どうも「君だけが」がしっくりこなかったのだと思います。英語に直して考えると、あぁなるほど、と思えます。Only you という題名のラブソングは英語にも多いですし。英語だと「君だけが」でも「君だけを」でも Only you で済んでしまうから、簡単かも?逆に考えれば曖昧。その点、クロアチア語は対象をハッキリ区別します。言語によって、こだわりどころがいろいろ違いますね。

http://www.zvecevo.hr/en/portfolio/samo-ti-volim-te-chocolate/
いろいろな味があります

February 11, 2006

ボスニア・ヘルツェゴビナには3つの国がある?



2月9日の日記「ボスニア・ヘルツェゴビナの記念切手」で、ボスニア・ヘルツェゴビナには郵便事業を受け持つ団体が3つもあることについて触れました。では、ボスニア・ヘルツェゴビナの人たちは実際どのようにそれぞれの郵便局を使うのでしょうか。気になったので、現地に住む友人に聞いてみました。

どの郵便局を使えばいいの?

  • 最寄の郵便局からどこへでも郵便物を送ることが出来ます。ただし、切手はその系列の郵便局が発行した切手しか使えないそうです。例えば、クロアチア系の郵便局から送るときは、セルビア系やムスリム(ボシュニャク)系の郵便局が発行した切手を使うことが出来ないということです。
  • 近所に2種類(ムスリム系とクロアチア系など)の郵便局がある場合は、あて先の住所によって選択します。あて先の場所がムスリム系の地域であれば、ムスリム系の郵便局から送ったほうが早いでしょう。ムスリム系の郵便局は、Mostar、Tuzla、Zenica、Bihać、Travnik、Goraždeなどにあり、その本局は Sarajevoにあります。Mostar(モスタル)にはクロアチア系郵便局の本局もあります。
  • 例えば、クロアチアとの国境近くに住んでいる人が、ボスニア・ヘルツェゴビナからクロアチアのザグレブに宛てて郵便物を送るなら、クロアチアに行ってそこの郵便局から送ったほうが早いです。(注:ボスニア・ヘルツェゴビナのクロアチア系郵便局ではなく、クロアチア共和国が運営している郵便局ということです。)ボスニア・ヘルツェゴビナの身分証明書があれば、パスポートなしで簡単にクロアチアに入国できるそうです。 追記:2013年7月1日にクロアチアがEU(欧州連合)に加盟したため、入国のルールが厳しくなりました。ボスニア・ヘルツェゴヴィナからクロアチアに入国するには、必ずパスポートが必要になりました。
10年前のデイトン合意によって、ボスニア・ヘルツェゴビナという国は、セルビア人が住む「スルプスカ共和国」(またはセルビア人共和国ともいう)と、クロアチア人とムスリムが住む「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」の二つに区分されました。しかし実際のところ、郵便システムを見てもわかるように、まるで3つの小さな国が共存しているような感じですね。「セルビア人はひとつの地域を国として与えられたのに、クロアチア人とムスリムはボスニア・ヘルツェゴビナ連邦を共有しなくてはいけないのが不公平だ」という地元の人の意見をよく聞きます。また、クロアチア人はボスニア・ヘルツェゴビナの中で不当に扱われているという意見もあります。

ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦

ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(ボスニア・ヘルツェゴビナという国の中の、スルプスカ共和国を除いた部分)の人口比率を2002年の統計でみると下のようになっています。

ムスリム(ボシュニャク人): 72.9%
クロアチア人: 21.8%
セルビア人: 4.4%
その他: 1.0%            (ウィキペディアより)

クロアチア人の数は約20%にすぎないので、いくら共存しているといっても、ムスリムの人に有利な社会構造になってしまうんでしょうね。クロアチア人たちのこんな声を聞いたことがあります。

  • 国に税金をどんどん吸い取られて、それがムスリムが多く住む場所(首都サラエヴォなど)の生活をよくするために使われるばかりだ
  • 10年前はとにかく戦争を終わりにしたかったので、デイトン合意を歓迎したが、蓋を開けてみれば条件が不公平で生活は苦しくなる一方・・・
  • デイトン合意を見直して欲しい

デイトン合意の問題点と見直しについては、昨年の10周年記念式典の頃も、欧米の新聞が多くとりあげていました。ボスニア・ヘルツェゴビナは、ようやく中央集権を目指して憲法を改正していくということなので、この国をどんなふうにまとめあげるのか、注目です。

ブログ内関連記事:
ヘルツェゴビナってどこからどこまで?
ボスニア・ヘルツェゴビナの記念切手

サイト内検索をつけました



クロアチア語を教えて!Teach Me Croatian!のトップページに、サイト内検索をつけました。Googleの無料サービスを使っているので、検索結果が100%正確というわけではありません。でも、無いよりはマシかな、と(^^;)

February 9, 2006

ボスニア・ヘルツェゴビナの記念切手



世界各国の記念切手を見る場合、その国の郵便事業を受け持つ団体の公式サイトに行って探すのが手っ取り早いです。切手を発行する郵便事業は一つの国に一つだけというのが一般的ですが、ボスニア・ヘルツェゴビナにはそういう団体が3つもあります。そもそもボスニア・ヘルツェゴビナという国には、独立した3つの政府(クロアチア系政府、セルビア系政府、ムスリム系政府)が存在しており、それぞれが別の郵便団体を運営しています。

クロアチア系

Hrvatska pošta d.o.o. Mostar (Croatian post Ltd.Mostar)

クロアチア系政府の管轄下(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の管轄下でもある)

http://www.post.ba/(公式サイト)
http://www.post.ba/novosti/novosti-filatelija/ (記念切手)

ムスリム系

BH pošta(BH Post Ltd. Sarajevo)

ムスリム系政府の管轄下(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の管轄下でもある)

http://www.bhp.ba/(公式サイト)

www.bhp.ba/...(記念切手) リンク切れ
追記:下記が新アドレスです
http://www.posta.ba/stranica/2/25/23.html#Postage_stamps(記念切手)新アドレス

セルビア系

Srpske pošte (Srpska post)
追記:Pošte srpske に変わりました。

スルプスカ共和国の管轄下

www.srpskeposte...(公式サイト)
www.filatelija...(記念切手)

追記:下記が新アドレスです
http://www.postesrpske.com/sites/state/en/default.aspx(公式サイト)
http://www.postesrpske.com/sites/state/en/philately/default.aspx(記念切手)*左メニューの中から CATALOG に行くと、1992年から2007年までに発行された記念切手のカタログを見ることができます。(PDFファイル)

国が分割統治されている今の状態は、ボスニア・ヘルツェゴビナのEU加入への障害になっています。とはいえ昨年、デイトン合意10周年の記念式典がアメリカで行われた際に、ボスニア・ヘルツェゴビナの3政府のリーダー達が集まり、国家体制の機能統一を目指して憲法改正に取り組むことで合意しました。おそらく郵便の仕組みもいずれは統一されるだろうと思います。

下は、そのときの新聞記事へのリンクですが、無料で読める期間が切れているので、最初の部分しか閲覧できません

Bosnia’s 3 Groups Reach Unity Agreement(英語)

ボスニア・ヘルツェゴビナの中にあるスルプスカ共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦につきましては、昨年の9月26日の日記「ヘルツェゴビナってどこからどこまで?」をご参照ください。

ブログ内関連記事:
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ボスニア・ヘルツェゴビナには3つの国がある?
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February 7, 2006

クロアチア語のバレンタインカード (3)



2月3日の日記で www.coolinarika.com というサイトの中にあるバレンタインカードをご紹介したときは、クロアチア語のメッセージの意味が私には分かりませんでした。昨日クロアチア人の友人に意味を教えてもらいましたのでご報告します。(日本語に直訳すると不自然になる場合は、だいたいの意訳にしました。)

カードはここ(下記)にあります。カードのひとつをクリックすると、メッセージが現れます。
バレンタインカード (追記:リンク切れ)


#1
Sretno Valentinovo za sve one koji spavaju sve manje, a sanjaju sve više!

Happy Valentine's for all those who sleep a little less, and dream a little more!

睡眠不足だけど夢多きすべの人たちに、ハッピーバレンタイン!

#2
Nešto ti moram šapnuti. Priđi bliže, još bliže, još samo malo bliže… CMOK! Sretno Valentinovo!

I have to whisper something to you. Come closer, even closer, just a little bit closer... SMACK! Happy Valentine's [Day]!

あなた(君)に囁きたいことがあるんです。近くに寄って、もっとそばに、あともうちょっとだけ近くに・・・チュッ! ハッピーバレンタイン!

#3
Na jelovniku nešto posebno - Valentinovo! Budi mi drag gost.

There is something special on the menu - Valentine's! Be my dear guest.

メニューの中に特別なものがあります - バレンタイン!是非来てください。

#4
Postani dio večerašnjeg romantičnog dekora, moj VIP gost na proslavi ljubavi!

Become a part of tonight's romantic decor, my VIP guest at the celebration of love!

今夜のロマンチックな舞台の一部になってください。愛の祝福の特別なゲストとして!

#5
I za Valentinovo gordi i svoji. Dođi na proslavu samaca na AntiValentine party!

Even on Valentine's Day, you have your pride and own yourself. Come to the celebration of lonely ones, at the Anti-Valentine's party!

たとえバレンタインデーでも、あなたは自分に誇りを持っています。ひとり者のお祝いに来てください。アンチバレンタイン・パーティーです!

#6
Spreman/spremna na vikend iznenađenje? Dovoljno je reći "da" i prepustiti se!

Ready for a weekend of surprises? Just say "Yes" and enjoy!

驚きでいっぱいの週末を迎える準備は出来た?「イエス」と言ってくれさえすればいいんです!

#1と#2はバレンタインを祝うメッセージ、#3から#6まではパーティーやディナーなどへの招待状となっています。
#1 友達向け
#2 恋人向け
#3 と #4 恋人向け
#5 友達向け
#6 恋人向け

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クロアチアのバレンタインデー
クロアチア語のバレンタインカード(1)
クロアチア語のバレンタインカード(2)
世界遺産プリトヴィツェ国立公園の電子グリーティングカード
バレンタインカードの決まり文句

February 4, 2006

世界遺産プリトヴィツェ国立公園の電子グリーティングカード



クロアチア語の電子バレンタインデーカードを探していたら、プリトヴィツェ国立公園のとても綺麗なホームページに辿りつきました。

Nacionalni park Plitvička jezera 
(Plitvice Lakes National Park プリトヴィツェ湖群国立公園)

http://www.np-plitvicka-jezera.hr/

このサイトの中に、電子メールで送ることができるグリーティングカードがあります。(バレンタインデー用ではありません。)訳は英語版を見るとわかります。

クロアチア語版(追記:リンク切れ)
英語版(追記:リンク切れ)

クロアチア語版の頭語が Dragi (英語の Dear にあたる) になっていますが、これは男性に向けてのみに使われますので、女性宛の場合は Draga に直してくださいね。

締めくくりの結語は Poštovanje (英語では Regards) になっています。もっと親しみを込めたものは、「クロアチア語を教えて!」ホームページのレッスン4 Day16 に出ていますので参照なさってください。

デフォルトでは下のような文面(国立公園の紹介)なので、そこを好きなメッセージに書き変えます。文章は、最近ご紹介したクロアチア語のカードのホームページなどが参考になります。

クロアチア語
Razgledavajući nedavno sadržaje na Internetu, naišao sam na stranice nacionalnog parka nevjerojatne prirodne ljepote i želio bi ih podjeliti s tobom. Možeš im pristupiti pomoću linkova koji se nalaze iznad ove poruke.

英語
While browsing the internet recently, I found a site dedicated to a national park of simply astonishing beauty that I wanted to share with you. You can access it by using the menu located at the top of this message.

あとは右下のボタンを押して送信するだけです!

おまけ

世界ふしぎ発見!のレポーターがプリトヴィツェ国立公園を訪ねたときの裏話が下の公式ホームページにでています。写真も綺麗。

第930回 アドリア海の知られざる楽園 クロアチア
2005/08/27(土)21:00~

http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery930_1.html(追記:リンク切れです)
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery930_2.html(追記:リンク切れです)

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プリトヴィツェ、それともプリトヴィチェ?
クロアチアで撮影された西部劇

February 3, 2006

クロアチア語のバレンタインカード (2)



昨日に引き続き、クロアチア語の電子バレンタインカードを探してみました。今日は3ヵ所をご紹介します。

http://www.ka-net.net/(追記:リンク切れ)


まず、下記のサイトに行きます。
http://www.ka-net.net/cgi-bin/valentinovo/cestitke.asp(追記:リンク切れ)

一番上のドロップダウンメニューでメッセージを選ぶことができます。(Izaberite naslov というところ。)一応男性の言葉で訳しましたが、性別に関係なく、女性からも送ることができるメッセージです。

CroatianJapaneseEnglish
Volim te! 愛してるよ!I love you!
Samo za tebe!君だけに!Only for you!
U mislima s tobom…君のことを想っています…In my thoughts with you...
Ti si meni sve!君は僕の全てだよ!You are my everything!

その他の語句:
Poruka: メッセージ
Za: ・・・さんへ(for)
Od: ・・・より(from)

http://www.abcweba.com/(追記:リンク切れ)

次はここ。カードは下記のアドレスにあります。

http://www.abcweba.com/razglednice/valentinovo.html(追記:リンク切れ)

右下の Odaberite glazbu:(choose music) というところで音楽を選びます。メッセージは選択式ではなく、Sadržaj razglednice:というところに自分で書かなくてはなりません。

その他の語句:
Vaše ime: あなたの名前
Vaša email adresa: あなたのEメールアドレス
Ime primatelja: 受取人の名前
Email adresa primatelja: 受取人のEメールアドレス
Naslov razglednice: メッセージの題名
Sadržaj razglednice: メッセージの本文
Vaš podpis: あなたの署名

www.coolinarika.com/

ついでにここにもありました。クロアチア語が達者な方々には有用かも・・・。つまり、選択できるメッセージが長文なので、私のような者には内容がよくわかりません(笑)。恋人向けのメッセージだけでなく、友人をバレンタインパーティーに招待する文面など、いろいろ含まれているようです。カードへ行くには下をクリック。


--> クロアチア語のバレンタインカード(3)に続く

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