正確には、これは手紙に添えられたカバーレター(またはその下書き)で、手紙と同様にミロシェビッチ氏が手書きで書いたものだそうです。下のサイトに行くと、写真がページの下のほうに載っています。
Слободан Милошевић(セルビア版ウィキペディアより)(追記:写真は既に削除されているようで、見ることが出来ません)- 追記:上と同じ写真がこちらのサイトで見られます。ずっとスクロールダウンしていくと手紙があります。⇒ Milošević umrl zaradi infarkta (24ur.com より)
Why Milosevic Was Murdered (PrisonPlanet.comより)(追記:写真はリンク切れ)- 追記:上と同様の写真がこちらのサイトで見られます ⇒ Bolest, istine i spekulacije (Vreme より)
- 追記:またはこちらでも見られます(拡大版の一部) ⇒ Milošević prije smrti: Mislim da me truju (Jutarnji list より)
ロシアのラブロフ外相は13日、元ユーゴスラビア大統領のミロシェビッチ被告が死の直前に獄中でしたためた書簡が届いたと語った。書かれたのは8日。11日に死亡が確認されたミロシェビッチ被告の最後のメッセージになったと見られる。
- 「死の直前、ロシアで治療求める手紙 ミロシェビッチ被告」より(朝日新聞、3月14日)
ということなのですが、このカバーレターを見たら、日付けがなんと、亡くなる前日の3月10日なんです*1。ということは、手紙が書き始められたのが3月8日で、それに添えるカバーレターは何らかの理由により10日に書かれ(手紙を書くのに2日間かかったということなのかも?)、おそらくその日に投函、そしてロシアに着いたのが13日頃なんですね。 または、時差の関係で日付がずれたのかもしれません。
冒頭で申しましたように、友人たちに解読してもらったミロシェビッチ元大統領のカバーレター。内容はだいたいこんな感じです。(よく見えないので、正確なことは私達にはわかりません。)
Ambassy [Embassy] of the Russian
Federation
Den Haag
Dear Gentlemen,
Please find enclosed the letter
of mine, addressed to Ministery [Ministry] of
Foreign Affairs of the
Russian Federation, with
my request to be so kind
as to pass the letter to the
Ministery [Ministry] in Moscow.
Best regards,
Slobodan Milošević
10.03.06.
Den Haag
明らかに Embassy や Ministry のスペルが間違って書かれているので、これは下書きだったものなのか、急いでいたのか、うーん、よくわかりませんが、とにかく、ハーグでこれを書いた翌日には亡くなってしまいました。 手紙のほうは、手書きで6枚ということですが、その英語訳が気になる方は、下のサイトで読めます。
それにしても、なぜ手書きだったのでしょうかね??ミロシェビッチ氏は、自分で自分の弁護士を務めていた関係で、拘置所でも特別にパソコンやFAXやインターネットも与えられ、かなり恵まれた環境にあったそうです。公式文書で手書きって珍しい。もっとも、すべては監視下にあったはずなので、隠れてロシアに手紙を送るには手書きのほうが無難だったのかもしれません。
ブログ内関連記事: ミラン・バビッチ氏の自殺 ミロシェビッチ元大統領の死
*1:クロアチア語やセルビア語で日付を書く場合、日、月、年、の順になるので、10.03.06.は2006年3月10日という意味になります。