もちろん彼らにも、クロアチア語の方言のひとつである štokavian (štokavski) 型が国内でもっとも一般的に使われている言葉だという認識はあり、その štokavian の中の ijekavian (ijekavski) 型が標準的だということも承知しているようです。しかし、たとえば北のザグレブの人も南のドブロブニクの人も両方とも ijekavian (ijekavski) 型を話すわけで、それでも文法が違ったり言葉使いが違ったりします。では標準語は何なのかと聞くと、「むかし学校で習った文法を見直さないとわからない。」、と言い出すのです。
標準語がわからない、というのは日本人の私にとってはすごく不思議でした。日本では東京周辺の言葉が標準語になっていて、たとえ地方に住んでいたとしても、何が方言で何が標準語かぐらいはテレビや本などを通じてだいたい知っているものではありませんか?(特に若者ならば。)私だって、日本語の細かい文法を聞かれたら正確に答えられる自信はありませんが、もっと基本的なこと(たとえば日本語の疑問文の作り方とか)ならすぐに答えられます。しかし、バルカン半島のように多民族が暮らす場所では、基本的な疑問文の作り方でさえ「標準語」と一口に括るのは不可能に近いようです。
そもそも、かつてのユーゴスラビアが南スラブ民族を統治してひとつの国にまとめたとき、政府がクロアチア語とセルビア語を出来るかぎり統合しようとしたので、クロアチア語がある程度セルビア語化した時期がありました。そして、旧ユーゴスラビアが分裂する直前も、「クロアチアの学校でセルビア語も教えるように」と政府がクロアチアの住民に圧力をかけたりして、クロアチア人の怒りを煽ることになりました。だから、旧ユーゴスラビアの人々がむかし学校で何を「標準語」として習ったのかは、政治と深く関わっているために、言語学だけでは一概に処理できないという事情があります。
そう考えると、「標準語」がわからなくなるのも無理はないという気がしてきました。
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