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May 18, 2007

ユーロビジョン 2007、東欧ではその頃・・・(2)



--> 昨日の日記、「ユーロビジョン 2007、東欧ではその頃・・・(1)」の続きです。

セルビアの西の国境?!

ちょうどユーロビジョン・ソング・コンテスト2007の決戦があった週、旧ユーゴスラヴィア諸国がなぜセルビアに対して怒り心頭だったのか。それは、トミスラヴ・ニコリッチ氏がセルビア議会の議長に選出され、インタビューでこのような発言をしたことに発端します。

「私は今でも、セルビアの西の国境はヴィロヴィティツァ=カルロヴァツ=カルロバグまでだと信じている。しかし、いまそれを実現するのは不可能だろう、なぜならクロアチアは独立国だからだ。」

この三地点を地図で確認して、線で結んでみてください。この三都市は現在のクロアチア国内にあり、仮にそこまでがセルビアだとすると、クロアチアの大部分と、セルビアとの間に位置するボスニアまでもがセルビアの領域になってしまいます。



かつて、こういう考えかたをしていた人たちが旧ユーゴスラビア内の戦争を推進していました。いまだに堂々とそんなことを言っているセルビア人指導者がいるだなんて、物凄く不気味なことです。セルビア議会の議長とは、セルビアで上から3番目に重要な地位だそうです。極右のセルビア急進党に属するニコリッチ氏をセルビアがそのような地位に押し上げたことに対し、旧ユーゴ諸国の人々の心情は穏やかではありませんでした。セルビア急進党は、コソボ自治州に関しても、絶対にセルビアから分離させないという方針を打ち出しており、昨年独立したモンテネグロ、そしてクロアチアやボスニアの一部もセルビアのもの、とする大セルビア主義を謳い続けています。

トミスラヴ・ニコリッチ氏のスピード辞任

幸いにも、ユーロビジョン・ソング・コンテストの決戦の翌日、ニコリッチ氏はセルビア議会の議長を辞任せざるを得なくなり、ひとまずほっ、としている人々が多いのではないでしょうか。

ニコリッチ氏はロシアを唯一の友好国とみなしており、「セルビアがロシアの属州になればいいのに」とまで言っています。今回のユーロビジョン・ソング・コンテストではセルビアにロシアからの票がそれほど集まらず、結果的にセルビアを優勝に導いたのは旧ユーゴスラヴィア諸国からの圧倒的な数の票でした。これを受けて、「ユーロヴィジョンでは、ニコリッチいわく『唯一の友好国』であるロシアよりも、お隣の旧ユーゴ諸国のほうがよっぽどセルビアを助けてくれたじゃないか!」という冗談さえ出ています。

関連ニュース:
「セルビア、過去に逆戻り」(JANJAN)
「極右議長、就任5日で辞任=民主勢力が圧力-セルビア」(時事通信)
参考:
旧ユーゴのスロボダン・ミロシェビッチ元大統領の墓前で祈りを捧げるニコリッチ氏の写真(AFPBB)

May 17, 2007

ユーロビジョン 2007、東欧ではその頃・・・(1)



セルビアが初優勝

今回(第52回)のユーロヴィジョン・ソング・コンテストでは、セルビアが初優勝。おめでとうございます!でも、近隣の旧ユーゴスラヴィア諸国から圧倒的な数の票が集まったことにより、他の国からは、まるで東欧が一致団結してセルビアを勝たせたかのような批判がチラホラ出ていますね。

確かに、票の数だけ見ればそのように見えてしまうかもしれません。しかし、その頃東欧で起こっていたことを考えあわせると、よっぽどのことが無い限り、セルビアを勝たせるためだけに一票を投じるなんて人は居なかったと思うんです。そんな状況下で東欧から票が集まったのは、Marija Serifovic さんの歌う「Molitva」という歌が、東欧の人々の心に深く染み入ったからなのではないでしょうか。旧ユーゴスラビア諸国の言語はとても似ているので、もしも歌がものすごく良ければ、国境を超えて東欧の人々に広く理解されることは自然なことです。

セルビアに対しての根強い怒り

10年前まで血みどろの内戦が起こっていた旧ユーゴ諸国において、セルビアは今でも決して好かれている国とは言えません。むしろ、最も嫌われていると言っても過言ではないと私は思います。去年、モンテネグロがセルビアから分離独立した頃なども、「いまのモンテネグロ人は、かつてクロアチア人がセルビアを嫌っていたのよりもさらに激しくセルビアを嫌っているようだ」などと、セルビア人自身が言ったりしていたものです。

そして、ユーロヴィジョンの決勝があった週(先週)は、ある事件があって(後ほど書きます)、クロアチア人もボスニア人も、セルビアに対して怒り心頭だったのです。私などは、何事かとびっくりしたほど。頭から蒸気があがるんじゃないかと思うくらいの怒りを久々に目にしました。

こういう状況の中で東欧の人々が結束してセルビアを勝たせようなんてことは、ほとんどありえなかっただろうと思われます。

「ユーロビジョン 2007、東欧ではその頃・・・(2)」に続く

関連ニュース記事:
<第52回ユーロビジョン・ソング・コンテスト>セルビアが初優勝を飾る - フィンランド
http://www.afpbb.com/article/1589439

May 12, 2007

ゴランをご覧!



今日は、「ER緊急救命室」でもおなじみのゴラン・ヴィシュニック(本来の発音はヴィシュニッチ)が出演しているクロアチアの映画 "Prepoznavanje" を見てみます。もともとはテレビ用に作られたものですが、評判がよかったためその後劇場公開もされたようです。クロアチア紛争終結の翌年(1996年)に製作されました。

それにしても、クロアチア人の男性は、ちょっと詩的なことを言って女の子を喜ばせるのが上手!この映画の中でも、悲しそうに思いつめていたアナが、イヴァン(恋人)の言葉に思わず微笑んでいます。クロアチア語のセリフと日本語訳は、このエントリーの最後にのせます。
http://www.youtube.com/v/Q0_gkxA7pmg (追記:リンク切れ)

追記 (2012年10月4日):上記の動画はすでに YouTube から削除されているため見られません。さきほど Dailymotion で検索したところ、この映画を見つけることができました。ただし、収録されている部分が1シーンではなく、もっとずっと長い動画なので、21分18秒以降をここに再生します。

更に追記 (2017年2月1日):今検索してみたらYouTube にありましたので、リンクを張り替えます。(21分18秒めからの再生)




ストーリー

主人公はアナという名前のクロアチア人女性。戦争中に家族を殺され、自分はセルビア軍の兵士から性的暴行を受けました。過去の苦悩を乗り越え普通の生活に戻りたいと願っていたアナでしたが、数年後、偶然その男をザグレブのカフェで見かけ、相手もアナに気付きました。怖くなって警察に行くと、その男はすでに戦死しているから人違いだと言われ、誰も彼女の話を本気にしません。戦争のトラウマによる妄想ということで片付けられてしまいます。そのうちにも犯人は、生き証人であるアナを殺そうと狙っているのです・・・という感じのスリラーだそうです。

ダイアローグ


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