オシム「忘れてはならない」倒れる3日前に綴った思い (出典 ZAKZAK)
「サラエボの花」に描かれているような性的暴行が、現地でいかにタブー視されてきたかについて、このブログでも去年取り上げました。( → 2006年4月15日の日記「グルバビツァ」を参照なさってください。)オシム監督もおっしゃっていますが、私たちも、この映画が出来るだけ多くの人々が観られることを願っています。そうすれば、犠牲者たちに対する世間の目も変わってくると思うからです。
ちょっと話は変わりますが、私の親戚のおばあさんに聞くところによると、第2次世界大戦に日本が負けたとき、当時子供だったおばあさんは、「戦争に負けてしまったのだから、当然アメリカ軍がここにもやって来て、きっと家族や自分が服を剥ぎ取られて虐待されたり惨殺されたりするのだろう」と思っていたそうです。(まわりの人たちも皆、そういう最悪の事態を覚悟していたのだけれど、実際にはそんなことはなくて、アメリカ兵が子供らにやさしかったので驚いた、と言っていました。)ということは、私が想像するに、日本人も戦争中に外国の人々に相当ひどいことを平然とやっていて、それが半ばあたりまえだったのでしょう・・・。つまり、戦争だから敵をどう扱っても当然だという考え方は、なにも旧ユーゴスラヴィアに起こった特別なことではなく、どこでも(日本でも)発生する可能性が大いにあるし、現代でも起こりうる。実際に、バルカン半島でそれが起こったのはわずか10年ちょっと前のことです。平和や秩序は、努力して守らないと、簡単に崩れてしまうものなのですね・・・。
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「グルバビツァ」