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March 31, 2006

日本の桜がモスタルに



ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに、日本の桜が贈られたというニュースがありました。
「平和願い、ボスニアで桜植樹指導」(東奥日報より)(追記:リンク切れ)
「Japanske trešnje darovane Mostaru」(地元での植樹の様子が写真で見られます。bljesak.infoより)(追記:リンク切れ)

記事によれば、今回は100本の苗木が植樹されました。地元ではモスタルの市会議長さんや、環境保安局の局長さん、福祉局長さんなども集まって、記念式が行われたそうです。日本の美しい桜がモスタルの公園に満開になったら嬉しいです。まだ苗木ということでかなり小さいわけですが、盗まれないかとちょっと心配になってしまうのは私だけでしょうか?!

上記の東奥日報によると、

イピル・イピルの会は同国の平和と民族融和を願い、日本花の会を通して桜の苗木を準備し、〇二年と〇四年に、計九百五十本を寄贈した。桜は首都サラエボ市の公園墓地などに植栽されたが、土壌の問題などから、二百数十本しか生育していないという。

ということです。あのブルース・リーの銅像があるズリニェヴァツ(Zrinjevac)公園の中にも植樹されました。ちなみに、ブルース・リーの銅像は、3月中旬に危うく盗まれそうになり、銅像が土台から少し浮いてしまったので撤去され、現在修理中です。だから、今この公園に行ってもブルース・リーはいません(涙)このことについては、詳細がわかり次第、改めて書きたいと思います。

また、確かに、土壌の違いというのは大きいと思います。これは友人が昨日撮って送ってくれた、モスタルの写真です。

Mostar

この場所は、ズリニェヴァツ公園ではなく、モスタルのそばの山(というか丘)からモスタルを見下ろしたところです。もちろんモスタルでも樹木は育ちますし、木で覆われている場所もたくさんあるのですが、このように岩石の地面が多いのも確かです。今回は樹木のお医者さんも派遣されるということなのできっと大丈夫でしょう。この写真では分かりにくいかもしれませんが、ネレトバ川がモスタルを横切っているのが見えます。

日本にちょっとでも興味がある市民は、このような行事があると興味津々で駆けつけるようです。日本のような遠い外国からもボスニア・ヘルツェゴビナの平和を願っている人々がいることを知ってもらうのはいいことだと私は思います。元気に成長してくれますように。

参考:「イピル・イピルの会」のホームページには、過去の植樹のときの写真(サラエボなど)が載っています。

ブログ内関連記事:
ブルース・リーのヌンチャク、ジプシーの子供たちにとっては金の延べ棒

March 30, 2006

ネレトバ川の汚染事件 (2)



ヘルツェゴビナの水源であるネレトバ川に水力発電所の冷却油が流れ込んだ問題( --> 3月4日の日記「ネレトバ川の汚染事件(1)」)で、ヘルツェゴビナ安全消防局の局長が首都サラエボの新聞に3月22日に語ったところによれば、事態は収拾したそうです。これで、また水道水が使えるようになりました。ただ、これまでの各機関の発表には話の食い違いが多々あったため、いまいち信用できないというか・・・。

事件発覚後、すぐに近くのダムをせき止めたりして、水の浄化作業が進められ、3月10日までには終了したそうです。

その後の新聞記事をざっと要約すると以下の通りです。(記事はそれぞれBljesak.infoから。クロアチア語)

3月17日の新聞記事
  • Electroprivreda (ボスニア・ヘルツェゴビナの電力会社) が水や魚を調べたところ、発がん性物質PCB*1(ポリ塩化ビフェニル)を含む油の含有度は標準値よりも少し高い程度(許容範囲以内)で、50ppm以下なので発がんの危険性はないと繰り返す。

3月18日の新聞記事
  • ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の衛生局が、発がん性物質を含む油の含有度が許容値の2.5倍から4.5倍を示していると発表。(つまり汚染水である。)

3月20日の新聞記事
  • もっと詳しいことが分かるまではネレトバ川で釣りはしたくないという、漁師たちの話

3月22日の新聞記事
  • ヘルツェゴビナ安全消防局の局長が首都サラエボの新聞に語ったところによれば、事態は収拾したということ。水は使っても飲んでもいいし、水力発電所も正常に稼動している。魚を獲ってもいいし食べてもいい。しかし、検査の一部はスロヴェニアの研究所に依頼しており、検査結果はまだ出ていない。

さて、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の衛生局と電力会社の意見がかなり食い違っているのですが、一体どちらを信頼すればいいのでしょうね?

さらに、不可解なのは、ヘルツェゴビナ衛生局(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の衛生局とは別の組織)の発表では、事件直後の2月28日から3月13日までの間の水質検査で、許容範囲以上の油の含有は全く認められなかったということです。それぞれの組織が、自分たちの方法で検査をしているため、違う検査結果が出ているのだと思います。また、水の浄化作業が終了する前に、クロアチアの研究所も検査をしており、その結果では、事件後のネレトバ川の水から、発がん性物質を含む油が高濃度で検出されたということです。これも、ヘルツェゴビナ衛生局の意見と食い違っていますね。

Electroprivredaやヘルツェゴビナ衛生局の発表を信じるとすれば、ネレトバ川は汚染されていなかった(PCBの含有量が許容範囲以内なので)ということになります。また、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の衛生局を信じると、ネレトバ川は汚染されていたけれど、浄化作業が済んだので多分もう大丈夫(検査の一部はまだ結果が出ていませんが)、となります。

ボスニア・ヘルツェゴビナの人たちが、「政府は信用できない。」と言うのをよく聞きますが、なるほど、こういうことなんだ・・・と思いました(-_-;) ボスニア・ヘルツェゴビナに住む友人に、ヘルツェゴビナ安全消防局とヘルツェゴビナ衛生局とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦衛生局のどれを信じるかと聞いてみたら、「どちらも信じない。」と言っていました。ましてや私営に近い電力会社の言い分はさらに信憑性が薄いと。水はミネラル・ウォーターを買って飲んでいるそうです。( --> ネレトバ川の汚染事件(3)へ続く)

*1:参考:PCB(ポリ塩化ビフェニル)について -ウィキペディアより-

March 28, 2006

クロアチア語で「あなたの名前は何ですか」と聞く



クロアチア語くらぶ BBS兼ゲストブックに下のようなご質問をいただきました。 あちらのほうではクロアチア語のフォントが使えないため、こちらのブログでお答えすることにします。

こんにちは。宿題でクロアチア語のあいさつなどを調べています。「あなたの名前はなんですか?」「私の名前は○○です。」をどういうかを教えて下さい。クロアチア語の文字のままと、カタカタでの読み方を教えてください。
Date: 2006/03/27(Mon) No.89

文脈にもよりますが、無難なものとして下記の言い方を挙げておきます。

  • Kako se zovete? (あなたのお名前は何ですか?カコ セ ゾヴェテ?)
    • Zovem se ○○. (私は ○○ といいます。ゾヴェム セ ○○.)

英訳すると、I'm called ○○. という感じです。よく知らない人や、目上の人との会話などで、礼儀正しくしたいときに使えます。

一方、相手が年下や仲間内などで、よそよそしくしたくないときは次のように聞きます。答え方は上と同じです。

  • Kako se zoveš?(君の名前は何ていうの?カコ セ ゾヴェシュ?)
    • Zovem se ○○. (私は ○○ といいます。ゾヴェム セ ○○.)

Kako se zovete? とか Kako se zoveš? と聞かれたら、Zovem se ○○. で答えるのが普通です。自分から名乗るときも、Zovem se ○○. と言えばいいのですが、名前の言い方は他にもあります。

  • Moje ime je ○○. (私の名前は ○○ です。モイェ イメ イェ ○○. My name is ○○.)
    • Ja sam ○○. (私は○○です。ヤー サム ○○. I am ○○.)

Moje ime je ○○. は、手紙などでよく使われる言い方です。また、先日クロアチア語のニュースを聞いていたら、担当者が番組のはじめに Moje ime je ○○. と言って自己紹介していました。

ついでに、「私の名前は○○です。」という言い方にはもうひとつあります。

  • Ime mi je ○○. (私の名前は ○○ です。イメ ミ イェ ○○.)

ただ、これは(私の印象では)少し気取った言い方だと思うので、使う人の好み次第です。ちょっとかっこつけたいときにはいいかも。また、場所によっても違うので、Ime mi je ○○. を普通によく使う地域があるのかもしれません。

「クロアチア語を教えて!」ホームページのほうでは、名前の言い方が「レッスン4 第17日目」に出ています。

March 18, 2006

この新聞記事はちょっとひどい



読売新聞のホームページにこんな記事が・・・。いかにも誤解を生みそうな書き方です。


旧ユーゴスラビア戦犯国際法廷(オランダ・ハーグ)の拘置施設で死去したミロシェビッチ被告(元ユーゴ大統領)の血液検査を行ったオランダ・フローニンゲン大学のドナルド・ユーヘス教授(毒物学)が13日、読売新聞の電話取材に応じ、被告が高血圧などの治療薬の効果を減ずる抗生物質を数か月にわたり服用していたことなどを明らかにした。

と始まっています。しかし、この一問一答形式の記事を読んでみると、この教授が言ったのは「被告が死ぬ2週間前に検査を実施し、通常ハンセン病や結核の治療に使われる抗生物質リファンピシンが検出された。」「自殺は彼自身や支持者たちの利益にならず、被告が自殺を図ったとは思えない。健康状態を自ら悪化させ、家族のいるモスクワへ渡り、戻らずに済むよう薬を摂取していたと解釈する。」などであり、あくまでも推測の域を出ていません。

読売新聞は、この記事の出だしの部分で、ドナルド・ユーヘス教授が「被告が高血圧などの治療薬の効果を減ずる抗生物質を数か月にわたり服用していたことなどを明らかにした。」と書いていますが、そんなことは全然明らかになっていないではありませんか!明らかになったのは、この薬物が検出されたということだけです。それをミロシェビッチ氏が「服用していた」とか「摂取していた」というのはこの教授の「解釈」にすぎません。どのように体内に入ったのかは未だに不明です。

それなのに、記事の題名が「元ユーゴ大統領、治療効果減らす抗生物質を服用」ですよ?せめて「服用か」ぐらいにしてくれればよかったのに・・・。ちょっと読売新聞にがっかりしました。

March 16, 2006

ミロシェビッチという名前を7ヶ国語で聞く



今日は、クロアチアというよりも、外国語の話題です。

デルポンテ首席検事はこう発音する

上は、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷のデルポンテ首席検事が行った記者会見についての記事です。この様子をCNN Internationalで聞きました。("Hague holds news conference" という題名のビデオファイルです。) カーラ・デルポンテさんの声が、なんとハリー・ポッターの映画に出てくるマクゴナガル教授(マギー・スミス)によく似てる(笑)。

デルポンテ首席検事(フランス人)が、英語で記者会見している映像でした。ミロシェビッチという名前は、英語のニュースだと、ミローソヴィッチ(またはミローセヴィッチ)と発音されることが多いのですが、デルポンテさんは英語で話しているにもかかわらずミローゼヴィッチと言うんです。(クロアチア語やセルビア語本来の発音では、ミローシェヴィッチ または ミロシェヴィッチとなります。)フランスではミローゼヴィッチと発音されるのが普通なのかな?と思ってフランスのラジオを聞いてみたら、アナウンサーによってはミロシェヴィッチ(またはミロシェヴィーッチ)と言う人もいれば、ミロゼヴィッチ(またはミロゼヴィーッチ)と言っている人も居て、フランスではどちらでもいいみたいですね。イのほうに軽くアクセントを置く(ロのほうではなく)ようですが。

ただ、デルポンテ首席検事は何度もミロシェビッチ本人に会っているから本来の発音を充分知っているわけで、どちらでもいいなら本来の発音に近いミロシェヴィッチを使えばいいのに、と思ってしまいました。だって、国際法廷の欧米人関係者が英語で記者会見をするときは、英語風なミローソヴィッチではなく、セルビア語風のミローシェヴィッチで発音してくれている人も多いのに。直接面識のない人がラジオやテレビで名前を別の発音で読んでしまったり、発音が難しすぎて言えないような場合は変えてもしょうがないと思います。でも、フランスのアナウンサーだって難なく言えている名前なのに、デルポンテ首席検事は拘置所や裁判所で本人を目の前にしてもミローゼヴィッチと呼んでいたのかな?? と少し驚きました。

ミロシェビッチという名前を7ヶ国語で聞いてみる

さて、ミロシェビッチ氏の遺体が15日セルビア・モンテネグロに到着しました。
欧米のメディアが、ミロシェビッチ氏は一部のセルビア人にとってはヒーローだが、彼の死を心から悼む人の数はセルビアの中でもそれほど多くないだろう、と予測している記事を私は結構多くみかけていました。でも、実際は、私が想像していたのよりもずっと多くの人が空港に駆けつけて泣いていました。その様子を写した映像をユーロニュースのホームページで見てみました。CNN International や BBC でも、ビデオ検索すれば同じような映像が見られます。ただ、ユーロニュースのビデオはもっと軽いから見易いです。

ユーロニュースのホームページは情報量が少ないし、検索も出来ないので、ニュースの情報源としてはあまり使えませんが、言語の勉強にはとっても便利なサイトです。ひとつのニュースが、7ヶ国語(ドイツ語、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ロシア語)で読めます!でも、記事が一日たつと消えます・・・。空港や沿道に集まって感情的に泣いているセルビアの人たちのビデオを7カ国語で見ました。ミロシェビッチという名前の呼び方も7ヶ国語で聞けました。その記事のアドレスをここでご紹介しようと思って今ユーロニュースをチェックしたら、もう記事が消えている!!でも、今日の記事に、新たなミロシェビッチ関連のものを発見。
上記のアドレスに行き(明日にはもうリンク切れだと思いますが・・・)、記事の題名の頭のところにある、Videoという赤いボタンをクリックすると映像が流れます。映像の中でアナウンスされる文章がそのまま記事になっているので、外国語の勉強にすごく便利なんです。とくに、複数の言語を勉強中の皆さんに大のおすすめです!記事の上部にあるメニューで、言語を切り替えることができます。

March 13, 2006

ミロシェビッチ元大統領の死



3月11日に旧ユーゴスラビアのミロシェビッチ元大統領がハーグスヘーフェニンゲン拘置所で急死したことが世界の一大ニュースになっていますね。
自殺か毒殺か心筋梗塞か、と国際法廷のスキャンダルにまで発展しそうな勢いです。さすがに大物戦犯の死とあって、詳しく検死されるようでよかった。ここで私がどうしても気になってしまうのが、ミロシェビッチ元大統領の死の約1週間前に同スヘーフェニンゲン拘置所で自殺したとされているミラン・バビッチ氏なんです。バビッチ氏もちゃんと詳しく検死してもらえたのでしょうかね??当時、クロアチアの主要紙ヴェチェルニ・リストなどが、他殺の可能性を指摘していました。しかし、死体で発見された日の翌日には、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷の公式ホームページで「自殺」と断定して発表されています。(“After conducting an investigation, they confirmed that the cause of death was suicide.”)
バビッチ氏はセルビア人ですし、クロアチア人の多くにとっては憎むべき存在でした。でも、そんなクロアチア人の友人でさえこの発表を見たときには、「え、断定するには早すぎるんじゃない?ちゃんと調べたの?」と思ったそうです。検死をするとそれなりの日数がかかるでしょうに、バビッチ氏の自殺はあまりにも断定が早かったので、まるで国際法廷の内部が何かを揉み消しているような印象を受けたと言っていました。

戦犯の急死が一週間に2回も

上の記事は、「ミラン・バビッチは自分で首を吊ったのか、それとも殺されたのか?」というような見出しがついています。これによると、バビッチ氏は自分を含めセルビアの政治家や軍人が戦争中に犯した罪を告白し謝罪したため、セルビアでは史上最悪の裏切り者の一人とみなされているそうです。

拘置所では、バビッチ氏の身を守るためほかの収容者から隔離し、ビデオレコーダーもない場所で、看守が30分おきに見回っていました。午後6時の見回りの時は特別変わった様子もなかったのですが、6時半の見回りのときに、首を吊って死んでいるのが発見されました。バビッチ氏は、旧ユーゴスラビアの諜報機関に属していた高官などについて、国際法廷で証言する予定になっていたので、スパイにより自殺に見せかけて殺害された可能性が無きにしもあらず・・・だそうです。判事の一人が、詳しい死因に関してさらなる調査を申し立てたということですが、一体どうなったのでしょうか。気になります。

このときの他殺説は国際的には話題にならず、自殺としてあっさり片付いていたように見えました。また、誰かから脅かされて(家族を守るために)自殺するしかなかったのではないかという説もありました。その6日後、ミロシェビッチ氏が同拘置所内で急死し、今度は本当に自殺から他殺まで、いろいろな説が世界のニュースになっています。毒物使用に関する2次検査の結果が数日内に出るということです。真相がどうであれ、クロアチアでもセルビアでも、国際戦犯法廷に対する不信がますます強くなっているのは確かです。

ブログ内関連記事:
ミラン・バビッチ氏の自殺
故ミロシェビッチ元大統領の手紙
日本から寄贈されたバス

March 11, 2006

イースターカードの決まり文句



イースターカードの定番フレーズについて読者の方から質問をいただきましたので、ここに載せることにします。今年のイースターは4月16日だそうです。日本はキリスト教国家ではないので、イースターはあまりなじみがありませんね。イースターについての詳細は、ウィキペディアで読むことが出来ます。--> 「復活祭(イースター)

(追記)イースターカードでよく使われるフレーズは、ホームページに移動しました。

移動先はこちらです→ http://www.croatian101.com/chapters/c4/easter.html

無料の電子イースターカード

http://www.index.hr/servisi/razglednice/uskrs_2_1.aspx

    • Ime primatelja: 受取人の名前
    • E-mail adresa primatelja: 受取人のEメールアドレス
    • Ime pošiljatelja: 差出人の名前
    • E-mail adresa pošiljatelja: 差出人のEメールアドレス
    • Tekst poruke: メッセージ
    • Odustani: キャンセル
    • Pošalji e-card: Eカードを送る
    • 送信後に Razglednica je poslana.という表示が出たら、送信成功です。

ブログ内関連記事:
クロアチアのイースター(その1)

March 10, 2006

日本から寄贈されたバス



先日、Exciteの世界びっくりニュースにこんな記事が出ていました。
オランダからのバス寄付にセルビア急進党員が憤慨 (追記:リンク切れ)

元の記事はロイター。(英語)
Send Dutch bus back, say Serb nationalists

セルビアの極右政党メンバーが、オランダから寄贈されたバスを返還するよう地方政府に要求している。

バスはオランダからセルビア南東部の街ピロトに寄贈されたが、セルビア急進党のメンバーが、これは侮辱だと述べている。現在、セルビア急進党のボイスラフ・シェシェリ党首がオランダの国際戦犯法廷で拘束されているからだ。

「こんなゴミをよこそうと思いつくこと自体が間違っている」と、 セルビア急進党地方支部リーダーのボバン・ボジノビッチは言う。「セルビア急進党は我らの最も勇敢で偉大な党首を拘束している人々からのほどこしは受けたくない」

しかしミラン・ポポビッチ市長は、ピロトにはバスが必要であり、寄贈品を返すことはできないと述べた。複数の西欧諸国が90年代のバルカン戦争の傷手から立ち直ろうとしているセルビアの街にバスを寄贈している。(以下略)

国際法廷で起こっていることはオランダのハーグの一般市民には何の責任もないわけで、そこに怒りを向けるのはやっぱり変な話というか、まさに「びっくりニュース」です。そんなことよりも、私にとって興味深かったのはミラン・ポポビッチ市長の下の発言です。

ポポビッチ市長は、「国民が外国で裁きを受けることがあってはならないし、現在スヘーフェニンゲンの法廷拘置所で起こっていることに反対する」と同意を示したうえで、「だからといって助けを受けたり協力したりしてはいけないというわけではない」と述べた。

「国民が外国で裁きを受けることがあってはならない」とか、「国際戦犯法廷はあてにならないから信用出来ない」という意見は、クロアチアのアンテ・ゴトヴィナ(アンテ・ゴトビナ)元将軍がハーグの国際戦犯法廷に拘束されたときも、クロアチアでよく聞かれました。また、先日急死した戦犯のミラン・バビッチ氏も、このスヘーフェニンゲンの法廷拘置所で死体で見つかっており、自殺と報道されていますが、ヴェチェルニ・リスト紙を含む一部のメディアでは他殺の可能性も指摘されています。(それについてはまた別の機会に書きますね。)私は、セルビア側の意見は今までよく知らなかったので、このポポビッチ市長の発言を目にしたとき、セルビアの人も国際法廷に関してはクロアチア人と同じように感じているんだなぁ、と思いました。

日本から寄贈されたモスタルのバス

さて、この記事でもうひとつ思い出したのが、日本から寄贈されたモスタルのバスです。そうです、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルで、2001年に日本からプレゼントされた40台の黄色いバスが元気に走っているんです!(実際にバスが渡されたのは2002年。)その乗り心地を現地の友人(クロアチア人)に聞いてみました。

まず、返ってきたのは、「日本のバスは小さい!」「エアコンがないから夏は猛烈に暑い!」ということでした・・・。日本人は体が小さいから日本のバスは小さいんだろう、と思っていたそうです。でも、よく調べてみたら、小さいのにはちゃんとしたわけがありました。これは日本から来たバスではなく、ドイツ製の新しいバスだったんです。モスタル周辺の細い山道でも運行できるように、日本政府がわざわざ小さいバスを選んだのだそうです。また、老人や体の不自由な人々のために、敢えて床の低い車体が選ばれました。日本政府は単に7億6千9百万円というお金をポンと渡しただけではなく、いろいろ考えてバスを選択し、メンテナンスの道具や替えのパーツまで調達していたんですね。こういうことを昨日初めて知った友人は、日本政府の思慮深さにとても感心していました!とくに、戦争で負傷して体が不自由になった市民もたくさんいるので、そういう理由で低い車体が選ばれたことに感銘を受けていました。

日本から贈られたモスタルのバスに関する詳細は、下のサイトで見られます。バスの写真もあります。
Restoring Mostar City transportation by procuring new buses (追記:リンク切れ)

バスはドイツの MAN製で、車体の形はだいたいこの Lion’s Classic というタイプに近いそうです。(モスタルのバスは黄色ですが。)下のサイトに行き、左のメニューで Passenger cabin というのをクリックすると、客席の写真などが見られます。色違いですが、だいたいこんな感じだそうです。
Lion’s Classic (追記:リンク切れ)

モスタルに通勤している友人は、この日本のバスによく乗ります。時間帯やルートによっては、日本のバス以外も走っています。日本のより車体が大きくてゆったりできるものの、30年ぐらい昔のおんボロのバスなので、もう表示も何も全部消えてしまっているような車体だそうです。それにしても、なぜ日本はエアコンのついたバスを選んであげなかったんでしょうかね?!夏は車内が40度C近くになってしまいます。通勤で片道一時間もそのバスに乗っていたら、ヘトヘトだそうです。それとも、たまたまそのバスだけエアコンが壊れてしまったのでしょうか??でも冬は車内に暖房がよく効いて快適だと言っていました。

日本のバスの写真。モスタル市街。




側面(窓の下)にこう書かれています。

COOPERATION
JAPAN
FOR
BOSNIA
AND
HERZEGOVINA
2002

March 7, 2006

ミラン・バビッチ氏の自殺



あの幻の国クライナ・セルビア人共和国の初代大統領だったミラン・バビッチ氏が5日の午後、自殺したという報道がありました。ご冥福をお祈りします。

ハーグ旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で有罪を認め、国外(場所は明らかにされていない)で服役していましたが、ミラン・マルティッチ氏に対する戦犯法廷で証言するため、先月からハーグに戻されていました。バビッチ氏自身の裁判はもう終わっていて、懲役13年が下されています。しかし、旧ユーゴスラビアの戦争犯罪の内幕を知る最重要人物の一人として、他の戦犯の裁判で証言することも多く、この生き証人がいなくなったということは、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷にとっても非常に大きな痛手です。

とくに最近のニュースでは、セルビア系のラトコ・ムラディッチ (Ratko Mladić)元将軍がセルビアでついに発見されたという報道もあり(投降を促している最中だという)、また、クロアチアのアンテ・ゴトヴィナ元将軍も去年逮捕されましたし、逃亡中の戦犯被告人が続々と見つかっているような状況の中での自殺。戦後、自分が戦争中に犯した過ちを恥じ、自責の念にかられると話していたそうです。ぜひともがんばって生き延びて、裁判に協力してほしかった・・・。

実際、ミラン・バビッチ氏は、数いる戦犯の中でも、捜査にすごく協力的だった人です。旧ユーゴスラビアのミロシェヴィッチ前大統領に対する戦犯法廷でも積極的に証言し、ミロシェヴィッチ氏の行動と嘘を非難しました。また、クロアチア領内に発生したクライナ・セルビア人共和国の建国には、ミロシェヴィッチ氏が大きく関わっていたことを認めました。しかし、その正直さのせいでセルビア人からは裏切り者呼ばわりされ、クロアチア人やムスリム人からは戦争のことで恨まれ、もう何も失うものがないところまで来てしまっていたのかもしれません。

旧ユーゴの戦争犯罪人で、戦争中の過ちを振り返り深く謝罪したバビッチ氏のような人は今のところ珍しいです。クライナ・セルビア人共和国が出来た1991年頃、バビッチ氏は年齢にして30代半ば。そんな若さで一国(国とは言っても自称でしたが)の大統領に選ばれたんですね。先月50歳になったばかりでした。一部では、誰かに脅かされて家族や何かを守るために自殺せざるを得なかったという憶測も流れています。真相は分かりません。

旧ユーゴスラビアの戦争犯罪では、一体誰に責任があったのか、いま誰が真実を言っていて誰が嘘の証言をしているのか、未だに解明されていない部分が多いです。証拠隠滅工作もたくさん行われているので、記録が消されてしまえば罪が立証できません。(参考:証拠隠滅工作の例)戦争を始めた悪者達がうまく逃げて、お国のために戦った者が捕らえられて罰せられている・・・。という印象を持つ人々も現地には多いそうです。

先月なども、ボスニア・ヘルツェゴビナがセルビア・モンテネグロに対して戦争の賠償を求めて訴えを起こしたというニュースがありました。本当は13年前の1993年3月に、ボスニア・ヘルツェゴビナが旧ユーゴスラビアに対して同様の訴えを起こしていますが、旧ユーゴの残存が現セルビア・モンテネグロなので、そこを訴えています。13年もたって、やっと裁判にこぎつけるって、なんとまぁ遅い・・・。こういうところからも国連への不信感が増してくるのでしょう。ボスニア・ヘルツェゴビナ側から見れば、旧ユーゴスラビアのセルビア人がクロアチア人とボシュニャク人(ムスリム)を迫害して追い出そうとしたことが、国連の国際司法裁判所でやっと裁かれる、ということのようです。詳細は下の記事で。(英語)

Serbia Faces Trial for Bosnia Genocide - After years of delays, an international court will finally decide whether the Serbian state is guilty of this grave crime - (Balkan Insightより。)

www.balkaninsight.com/en/article/serbia-faces...

人々の心の中の戦争はまだまだ続きますね・・・。

ブログ内関連記事:
アンテ・ゴトヴィナはなぜクロアチアでは英雄なのか?(1)
ミロシェビッチ元大統領の死

March 5, 2006

世界遺産の石橋、スタリ・モストのウェブカメラ



ネレトバ川の話題(3月4日の日記参照)が出たところで、この川をまたぐ世界遺産の石橋「スタリ・モスト」のウェブカメラの設定が変わったことをお知らせしておきます。昨年の8月6日の日記に書いたときよりも、画面の自動更新間隔がちょっと遅くなったような気がします。アドレスも変わりました。

新しいアドレスはここです。
http://www.starimost.telecom.ba/index.php?id=402 (追記:リンク切れ)

7つのカメラが設置されています。上のアドレスへ行き、見たい眺めをクリックしてください。
  • Stari most - pogled sa Mesdžida
    • スタリ・モスト - Mesdžidaからの眺め(おそらく塔のひとつ)
  • Stari most - pogled sa Austrijske kuće
    • スタリ・モスト -「オーストリアの家」という建物からの眺め
  • Stari most - pogled iz Ramića sokaka
    • スタリ・モスト - ラミッチ通りからの眺め
  • Stari most - pogled sa kule Halebije
    • スタリ・モスト - ハレビヤ塔からの眺め
  • Stari most - Kujundžiluk
    • スタリ・モスト - クユンジルック
  • Stari grad
    • オールドタウン(モスタルの中の、Stari grad という地域)
  • Ulica braće Fejića
    • フェイッチ兄弟通り

語句意味
pogled眺め
sokak狭い通り(トルコ語から)
ulica通り
sa・・・の上から
iz・・・の中から(この場合、通りをひとつのエリアと考え、通りの「中」から)

写真(外部サイト)

インターネットで見かけた、スタリ・モストの写真の数々。こういう場所を自分の目で見てみたい!写真を見ていて、とっても行きたくなりました。

March 4, 2006

ネレトバ川の汚染事件 (1)



3月1日の日記に、はてなの注目キーワードの6位にボスニア・ヘルツェゴビナが登場したのは何か大事件が起こったせいとかではなくてホッとしたという話を書いていたちょうどその頃、なんと本当に事件が起きていました・・。2月26日(日曜日)、ヘルツェゴビナのヤブラニツァ (サラエボから南西に約80km)という場所にある水力発電所の冷却油が漏れ、相当な量の油がネレトバ川に流れ込んでしまいました。この川はヘルツェゴビナの大切な水源です。詳しいことはまだ分かっていませんが、最悪の場合、18トンものオイルが漏れた可能性があります。また、つい最近の成分分析の結果では、その油に発がん性物質が含まれていることがわかり、地元では大変な騒ぎだそうです。さらに悪いことには、この事件の情報伝達が遅れたため、大勢の人々が知らないで汚染された水道水を使っていました。私の友人が住んでいる場所では、独立記念日(3月1日)の夜になってこの事件が大々的にニュースで報道されました。急なことだったので、せっかく作った夕食も全部捨てなくてはいけないし、お風呂にも入れないし、おめでたい独立記念日だというのにてんやわんやだったそうです。

ネレトバ川は、あのモスタルの世界遺産の橋「スタリ・モスト」がかかっている川でもあります。クロアチアに流れ出るので、クロアチアにも水の注意報が出ています。人体や自然に対する影響が心配されます。(--> ネレトバ川の汚染事件(2)に続く)

リンク:この事件に関する新聞記事(英語)
COOLING OIL LEAKS INTO THE NERETVA NEAR JABLANICA (追記:リンク切れ)

ネレトバ川の地図

下をクリックすると地図が見られます。
Jablanica(ヤブラニツァ)やモスタルを通り、クロアチアに流れ出ているのがネレトバ川です。川沿いを走る道路に印をつけました。 

March 1, 2006

クロアチアのネクタイの記念切手



クロアチアがネクタイ発祥の地という話は最近有名になってきたように思います。1995年のクロアチアの記念切手にも、こんなものがありました。ネクタイの切手3種です。ネクタイの歴史についても書いてあります。(英語)

1630年のクロアチア兵のネクタイ
1810年の英国イングランド人のネクタイ
1995年のビジネスマンのネクタイ

www.posta.hr/default.aspx?id=3622&m=128

切手を見ると、昔のものはネクタイというよりもネッカチーフというかスカーフみたいじゃありませんか?私は「ネクタイ」と聞くと、現代のビジネスマンが身につけるようなものを思ってしまうのですが、英語では necktie。つまり、首に巻く布なら何でもネクタイと呼んでいいみたいですね。

ちなみに、necktieをMerriam-Webster の辞書で引くと、定義は下のようになっています。

a narrow length of material worn about the neck and tied in front; especially : FOUR-IN-HAND

www.merriam-webster.com/dictionary/necktie

現代のビジネスマンが身につけるようなものは necktie の一種で(英語では four-in-hand などと呼ばれる)イギリスのイングランドで始まったそうです。ウィキペディアによると、蝶ネクタイもイギリスで始まったそうですし、ネクタイとイギリスは深い関係がありそうです。それで、2番目の切手がイングランド人のネクタイなんでしょうね。(参考:ウィキペディア-ネクタイ

ネクタイの歴史は、クロアチアのネクタイブランド「CROATA」のホームページでも読むことが出来ます。(英語)
http://www.croata.hr/homeland/index.php (追記:リンク切れ)

「クロアチア人」というのは、クロアチア語で Hrvat (フルヴァット)といいます。これが17世紀のフランス語に「ネクタイ」の意味で取り入れらた時に cravate (クラヴァット:フランス語でネクタイのこと)に変わったというのが通説です。先述のクロアチアの切手のホームページでは、おそらくドイツ語の影響を受けたせいだろうと説明されています。フランス語だと h を発音しないので、フランス人にとって Hrvat はとても発音しにくいだろうと思います。私の想像では、フランス人が単に Hrvat を発音できなくて、cravate というふうにしか言えなかったのではないかなと思うんですが(^^;) ちなみに、クロアチア語でネクタイは kravata (複数形は kravate)といいます。

そういえば、映画「ピンクパンサー」のリメイク版が最近欧米で公開されましたね。その中で、強烈なフランス語なまりで話す主人公のクルーゾー警部(スティーブ・マーティン)が、どうしても英語の「ハンバーガー(hamburger)」という発音が出来なくて(h の発音が出来なくて)トラブルに巻き込まれるというシーンがあるそうです。下記の英語版のホームページに行って劇場予告編を見ると、その様子が少し出てきます。クルーゾー警部がアメリカに出張することになったので、完璧な米語の発音を身につけようと思い、発音の専門家を雇って英語の練習をするのだけど、"I would like to buy a hamburger." を何度練習してもどうしてもいえないという場面が見られます(笑)日本公開が楽しみ。

映画「ピンクパンサー」の公式ホームページ:
www.sonypictures.com/movies/thepinkpanther/ (英語)(追記:リンク切れ)
www.foxjapan.com/movies/pinkpanther/ (日本語)(追記:リンク切れ)

独立記念日おめでとう!



いま、はてなのトップページ http://www.hatena.ne.jp/ へ行ったら、「注目のキーワード」の6位が「ボスニア・ヘルツェゴビナ」でした。何か大事件でも起きたのかと思いきや、サッカー関連のせいだということが判明しました。スポーツでよかった・・・。
ところで、今日、3月1日は、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦*1の「Dan nezavisnosti」という祭日、つまり独立記念日なんです。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦内の会社や学校の多くがお休みですが、外国系の企業(クロアチア系も含む)は祭日扱いにはしないので、そういうところで働いている人たちはいつもどおりに仕事をするそうです。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、1992年の3月1日に、旧ユーゴスラビアから独立しました。独立記念日おめでとう!

語句

Dan nezavisnosti Bosne i Hercegovine
dan = 日 day 
nezavisnosti = 独立の of independence 
Bosne = ボスニアの of Bosnia 
i = と and 
Hercegovine = ヘルツェゴビナの of Herzegovina

文法的に見れば、「ボスニアとヘルツェゴビナの独立の日」ということで、生格(「・・・の, of...」)が3つも続いています。

*1:ボスニア・ヘルツェゴビナという国の中のスルプスカ共和国を除いた部分

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